社会学は学問の一番バッター(藤村 2014)

 プレイ・ボールとともに、相手投手の球筋を見極め、ヒットでも四球でもエラーでも出塁する。盗塁をねらうなど相手守備陣をかきまわし、クリーンナップたる3番・4番・5番にチャンスを回し、ホームに生還して得点を得る。クリーンナップが自らの得意のフォームを固め、長打をねらうバッティングをすることが多いのに対し、1番バッターは相手の投球や守備陣形に合わせて打法も修正し、出塁という結果そのものを求めていく。社会学は新しい現実への対応や理解の革新が求められるとき、その実態を素朴に把握し、その把握の蓄積の中から問題を考察していこうとする。それは社会学に公理や公式が存在するわけでもなく、概念や命題の抽象化が必ずしも進んでいないことの反映というふうに考えることもできる。しかし、現実が学問の理論を証明するために存在しているのではない以上、学問の理論や方法、体系にこだわるより、現実の多様なリアリティにあわせて打法を工夫していくような学問があってもよいだろう。学問間の分業ということを考えてよい。

 研究作法の厳しい学問に比較すると、社会学の研究方法はむしろゆるやかで多様であり、その分、現実によりそったリアルさを有していることが重要な要素となってくる。そのような学問の異端児ともいうべき社会学は現代的センスが問われ、方法の自由さが許容される分、研究結果としてのおもしろさ・意外性などが求められるという逆の難しさがある。(中略)

 打順に比喩を取ることで、社会学がもつ現代へ最初にアタックする性格、結果が求められるものの方法が自由であること、そして、学問間の分業と連携の可能性と必要性などについて私たちは気づくことができる。


藤村正之,2014,『考えるヒント――方法としての社会学』弘文堂.(p111-2, 114)