ジンメルの生涯(早川 2020)

 ジンメルは、1858年3月1日、当時のプロイセンの首都ベルリンで生まれた。両親はユダヤ人だったが、いずれもキリスト教徒である。ジンメルも新教の洗礼を受けている。彼の父親は、チョコレート会社(今日のSarottiの前身)の経営者で比較的裕福な家庭だったようである。彼は、兄と5人の姉を持つ7人兄弟の末子。16歳のときに父が亡くなり、音楽関係の出版社を経営する父の友人が彼の後見人になる。その人物は、死に際してジンメルが研究者として生涯暮らしていくだけの遺産を遺した。

 1876年、ベルリン大学に入学する。そこで彼は、歴史、心理学、哲学などを学び、1881年に「カントの物理的単子論による物質の本質」という主論文と他3つの副論文を提出して哲学博士の学位を得る。1885年ベルリン大学私講師。1890年ゲルトルート・キーネルと結婚。彼女も哲学者である。妻との間に一人息子ハンスをもうける。彼の最初の著書『社会分化論』刊行。1900年、ベルリン大学員外教授になる。この年に彼の主著『貨幣の哲学』が公刊されている。

 1907年、彼をハイデルベルク大学哲学正教授にという話が持ち上がり、マックス・ヴェーバーが推薦するが、うまくいかなかった。1909年には、テンニース、ヴェーバーらとともにドイツ社会学会の創設にかかわり、彼らとともに理事に就任する。1914年、56歳のときにやっとシュトラースブルグ大学哲学正教授に就任する。しかし、この年に第一次世界大戦が始まる。そして戦局が厳しさを増す4年後の1918年9月26日、肝臓がんのため死去。

  • 早川洋行,2020,「G・ジンメル——2は1より古い」松野弘監修/仲川秀樹編(2020)『社会学史入門——黎明期から現代的展開まで』ミネルヴァ書房,60-74.pp. 60-1