ホワイト『ストリート・コーナー・ソサエティ』におけるギャング団のメンバー間の相互作用(儘田 2012: 106-10)

 ロング・ジョンは特異な地位を占めていた。彼は(グループのリーダーである)ドックよりも5歳年下であったが、トップの3人とは友人同士であったために、ノートン団のなかでは高い地位を与えられていた。……それにもかかわらず、ロング・ジョンは子分たちに対してほとんど権威がなかった。この当時、ロング・ジョンは1週間分の稼ぎをたびたびサイコロ賭博ですっていた。これが原因で、彼は子分たちからバカにされていたのだった。(Whyte [1943]1993=2000: 20)

 1937年の冬から38年の春にかけては、ボウリングがノートン団のもっとも重要な社会活動であった。……彼らは絶えず、ある若者の(ボウリングの)成績を評価したり批判したりしていた。その結果、ある若者のボウリングの成績とグループ内における地位とのあいだには、密接な関係が生じたのである(ibid: 25)。

 アレックがロング・ジョンに個人戦を挑み打ち負かした。……アレックが対戦相手として、ドック、ダニーあるいはマイクではなくロング・ジョンを選んだことには重要な意味がある。ロング・ジョンのボウリングの腕前が劣っていたからではなかった。事実、ロング・ジョンのアベレージは、ドックやダニーのアベレージとほぼ同レベルであったし、マイクと比べるとずっとよかったのである。要するにロング・ジョンは、トップ集団に属してはいてもリーダーではなかったことから、ノートン団のなかでは攻撃を受けやすい地位にいたのであった(図参照)。……(アレックに負けてからも)ロング・ジョンは依然として団体戦では頼りがいのある男と考えられていた……。そして、そのことの方が……グループ内のメンバーの地位に関して言えばいっそう重要であった。だが、リーダーたちは……アレックがロング・ジョンに勝つべきではないと思っていたし、事実、ロング・ジョンに勝たせようと配慮していたのである。……次の試合では……ロング・ジョンがアレックを打ち負かした。(ibid: 30-31)

 (ドック、ダニー、マイクがノートン団を離れ、そのうち前二者がスボンギのグループに加わると)ノートン街の街かどには、新しいギャング団が出現した。……ロング・ジョンは、スボンギの所で時間をつぶしたり、ノートン街をうろついたりしていた。(ロング・ジョンはスボンギのグループでは内輪の仲間になれず、ノートン街でもドックらの後押しがないために地位を保てなくなった。)(ibid: 55-56)

 (この結果、ロング・ジョンのボウリングの成績は低迷し、ドックに何週間もよく眠れず悪夢をみると打ち明けるに至った。このことで相談にきたドックに対し、私は次のように提案した。)もしドックが、ロング・ジョンをスボンギの内輪のグループに入れてやれば、そして、ドックとダニーがロング・ジョンがボウリングをする時に守ってやり、相手方から野次られた時には激励するようにすれば、彼の心配事を払拭できるかもしれないと。ドックは半信半疑であったが、何ができるか確かめてみようということになった。まもなくドックは、ロング・ジョンをスボンギの内輪のグループにうまく割り込ませた。……同時に、ドックとダニーは、ボウリング場でもロング・ジョンを激励するようになった。ロング・ジョンのボウリングの成績は良くなっていった。……ロング・ジョンは、自分の悪夢のことで二度とドックに助言を求めることはなかった。(ibid: 58-60)

 (ギャング団の中でどのような地位・立場にあろうと)長期間にわたる継続的なグループ活動を通して、安定した確固たる相互作用の方法をメンバーそれぞれが身につけるということだ。メンバーの精神的安定は、相互作用における彼なりのやり方の継続を求めている。彼の活動にとっては習慣化されたチャンネルが必要なのだ。そしてそれを欠いたばあいには、心が乱される。(ibid:  272)

 コーナーヴィルの人びとは、彼らをとりまく社会へのより多くの参加の機会を得た時、より良く適応するようになるだろう。……一例をあげると、コーナーヴィル・ハウス(社会福祉施設)のレクリエーシヨン、センターのプロジェクトは、地元の責任を強める可能性を示唆するものであろう。……プロジェクトから得られた教訓は、彼らのリーダーたちを認め、彼らに行為の責任を持たせることで、街かどのギャング団と交渉することが可能だというものだった。(ibid: 282)


[1] 儘田徹,2012,『はじめて学ぶ社会調査——リサーチ・マインドを磨く8つのレクチャー』慶應義塾大学出版会.