日本経営史の重要な研究テーマとして「起業家の出自の問題」がある。戦後の比較的短期間に成長した企業、例えば総合菓子業界最大手ロッテ・製缶業界大手大和製罐、情報通信業界大手ソフトバンク等を起こした起業家が、なぜ、日本総人口の1%にも満たない在日韓人から供給されたのか、という問題である。戦災で壊滅した地場産業の復興・発展や斜陽産業の活性化が在日韓人の起業活動によって可能となった事例もある。神戸ゴムケミカル靴工業は典型事例であり、日本に韓国映画を配給することでブームを起こし斜陽化しつつあった日本映画界に刺激を与えることで活性化させたのも在日起業家であった。新たな産業・製品の創造もある。例えば焼肉産業、緑茶やウーロン茶等の茶系缶入飲料水、カプセルホテル等を創造・発展させたのも在日起業人である。日本にしかない大衆娯楽パチンコ産業を約30兆円の市場規模に発展させ、遊技機器製造業大手平和やホール最大手マルハンの創業者を供給したのも在日韓人である。
一説には在日韓人に対する就職差別が起業の端緒となった。戦前渡日した在日一世は韓民族的素養が高く帰郷志向が強かった。強い自尊心と上昇志向を有する留学目的の苦学生も存在した。彼らは労働集約型工業の低賃金労働者となり、その過程で差別を体験し、高学歴を得たとしても就職が絶望的なことを知った。彼らはやむを得ず就労体験を有し或いはその体験を応用できる低ステータス産業等で起業した。一部の者が敗戦後の闇市で資本蓄積を果たし、後の企業発展の礎を築くことに成功した。その典型がロッテや大和製罐である。
帰国を欲していた一世は郷里や韓国・北朝鮮との紐帯を重んじた。郷里の先祖の墓を整備し学校や橋等を寄贈した。自己が支持する本国政府の要請に基づき本国投資を行いソウル五輪等の国家的イベントへの経済的協力を惜しまなかった。本国が困難な時期に外貨や技術を持ち込むことによって国家経済を支えたのである。
在日二・三世も偏見と差別にさらされ公職からは排除された。日本語能力に長け、客観的能力を有する高学歴者に対しても大企業は門戸を閉ざしていた。医者以外の専門職への道も閉ざされ、一世が開拓した低ステータス産業か未成熟産業等で零細企業を起業しなければならなかった。後者に該当するのがソフトバンクの創業者である。この就職差別は日本人の優秀な人材が見向きもしなかった低ステータス産業や未成熟産業に在日韓人中の才能を集中させるという効用をもたらした。新規参入も相次ぎ、若い労働力も絶えず供給された。この結果、マイノリティ内部で熾烈な競争がおき淘汰が始まり業界の活力が担保されることで持続的発展が可能となった。その典型がパチンコ産業、焼肉産業、ゴム靴産業等であった。
在日韓人が成功している事業、とりわけ少ない投下資本の割には見返りの大きい業種に転業・起業する傾向が強い。被差別マイノリティの模倣性といえる。その典型が不動産業や金融業、古くは貸しレコード・最近ではカラオケ等である。近年、若い世代の高学歴者に対する就職差別の減少に伴い在日起業人は減少しており、企業規模の拡大に成功する起業家も減少している。起業能力といえる異質性が同化の進行により減殺しており、才能が多分野に集中しているからであろう。
河明生,2010,「在日起業人・起業家」国際高麗学会日本支部『在日コリアン辞典』編集委員会・国際高麗学会日本支部編『在日コリアン辞典』明石書店,171–2.