在日コリアンの職業(朴 2010: 176-8)

 1945年の祖国の解放を機に在日コリアンの多くは朝鮮半島に戻ったが、さまざまな事情で日本にとどまることを余儀なくされた者たちもいた。だが、彼らの職探しは戦時中以上に厳しいものになった。戦争特需が終わったことで、日本の製造業が不況になるとともに、戦争に駆り出されていた日本人労働者が復員したことで、在日コリアンの労働者が労働市場からはじき出されてしまったからである。戦中の1943年と解放直後の1952年の在日コリアンの職業構成の変化を示した〈表1〉を見ると、戦後は製造業従事者と土建業従事者が大きく減る一方、日雇い労働者が増加し、失業者が急増していることが判る。

 こうして戦後日本の労働市場から排除された在日コリアンたちは、わずかな資本を元手に、小規模ながら自営業を営むしか生きる術はなかった。在日コリアンの密集地域では、古鉄売買、土木、ゴム・プラスチックなどの分野で、数多くの零細企業が生まれた。またホルモン屋(焼肉屋)などの飲食業、ヘップ(サンダル製造)、パチンコなど、在日独自のエスニック・ビジネスに活路を見いだす在日コリアンも少なくなかった。

 しかし、外国籍のままでは日本の金融機関から融資を受けることができないという資金調達の壁が、在日コリアンの企業拡張にとって大きな障害になった。外国籍者に対する偏見や差別が当たり前のように存在していた当時、在日コリアンは銀行窓口で住民票の提出を求められたり、外国籍というだけで法外な担保を要求されることが多かった。1950年代に全国の在日コリアンの密集地域に、商銀や朝銀などの民族系金融機関が誕生したのは、こうした融資上の民族差別を背景としたものであった。こうして誕生した民族系金融機関は、仕事を求めていた在日コリアン労働者の受け皿になるとともに、パチンコ・ゴム・プラスチック・土木、焼肉屋などを営む在日コリアンに運転資金を提供することで、在日企業の育成に大きな役割を果たしてきた。

 1960年代から1970年代に入ると、日本の高度成長の影響を受けて、在日コリアンの中には、日本の消費者の支持を受けて企業を大きく成長させるカリスマ経営者も現れた。坂本紡績の徐甲虎、ロッテの辛格浩、パチンコ・マルハンの韓昌裕、MKタクシーの兪奉植などがその代表的な経営者である。

 しかし、こうした成功例は在日社会の中でもごく一部に限定されたものであり、日本が先進国の仲間入りをした1970年代においても、依然として大部分の在日企業やその経営者は零細な状況に置かれていた。統一日報社が1975年に在日コリアン企業6753社を対象にアンケート調査を行ったデータから、当時の在日企業・経営者の実態が伺える。この調査データによると、経営形態では個人企業が圧倒的に多く、全体の5割以上が株式会社など会社組織としての体裁を整えていない。また業種では、サービス業、製造業、卸売・小売業、建築業、娯楽・遊技場の5分野で全体の9割が占められ、資本金は500万円未満が大半であり、従業員数も20名未満が7割以上を占めている(民団中央本部『差別白書』第5集、381ページ)。1970年代、在日コリアンの多くは、こうした中小企業主か、彼らが営む在日企業で働く人々であった。

 だが1980年代になると、在日コリアンの自営業者や中小企業主の中から、日本経済の安定成長の波に乗り、中小企業の経営者として成功を収める旧中産層や、大学を出て日本の企業に採用される新中産層が膨らみを見せ始めることになった。こうした傾向は、表2に示した1960年代から1980年代にかけての在日コリアンの職業構成の変化からも読み取ることができる。同表を見ると、1960年代〜1980年代にかけて、在日コリアンの職業構成のうち単純労働者や農林業などブルーカラーの比重が大きく低下し、その一方で管理職、事務職、販売業、サービス業などのホワイトカラーの比重が増加していることが判る。また医療従事者や教員などの専門職も確実に就業者比率を増加させている。

 1990年代以降の在日コリアンの職業構成の変化については、日本の公式統計では入手できないので、正確な動向をつかむことはできない。しかし、1990年代以降の大きな流れとして、単純労働者などのブルーカラーが減少する一方、管理職、事務職、販売業、サービス業などのホワイトカラーを中心とする中産層が拡大してきたと言えるだろう。1990年代以降、多くの自治体の公務員採用試験において国籍条項が撤廃される傾向にあり、民間企業においても在日コリアンを採用する企業が増加しているからである。

 また医師・弁護士・司法書士・公認会計士・税理士・行政書士、社会保険労務士、弁理士、一級建築士、大学教員などの専門職に就く在日コリアンも増加傾向にある。在日コリアンの間でこうした資格職が増加する背景として、従来は彼らに対する就職差別の存在が指摘された。しかし、在日に対する就職差別はかなり改善されていることを示す調査結果もある。1984年に神奈川県在住の在日外国人を対象に実施された調査で在日コリアンのうち就職差別を受けたと回答した者は38.6%に上ったが(『神奈川県内在住外国人実態調査報告書』1985年)、大阪府教育委員会が1995年から1998年にかけて府立高校に在籍した外国人生徒(うち98%が在日コリアン)を対象に行った調査では就職差別を経験したと回答した者は9.9%にとどまった(大阪府教育委員会『在日外国人生徒進路追跡調査報告書」2000年3月)。2つの調査で回答者の年齢層に若干の違いはあるが、在日コリアンに対する就職差別がかなり緩和されてきたと言えるだろう。今後、こうした傾向が続くと、専門職就業者とともに日本の大手企業に採用される在日コリアンの新中産層が増加していく一方で、優秀な在日の人材が日本企業に吸収されることで、在日の起業家をはじめとする旧中産層は減少していく可能性もある。


朴一,2010,「在日コリアンの職業」国際高麗学会日本支部『在日コリアン辞典』編集委員会・国際高麗学会日本支部編『在日コリアン辞典』明石書店,176–8.