概念の創出と修正(高根 1979)

 われわれが普通、「事実 fact」と呼ぶものは、実は「概念 concept」によって経験的世界(empirical world)から切り取られた現実の一部に他ならない。図3-1はその関係を示している。……われわれの認識は完全な鏡のように、現実的世界を写し出しているのではない。われわれが現実に行っている認識は、われわれの持つ概念に導かれて、絶えず変化する経験的世界の一部を、辛うじてつかまえるという仕事なのである。その意味で「“概念”がなければ“事実”もない」ということが出来るのである。人間の認識の過程は、まことに主体的かつ積極的な過程であると言う他はない。

 社会学者のタルコットパーソンズはこのような働きをする「概念」をサーチライトにたとえている。暗黒のなかでわれわれはサーチライトの光によって、始めて事物を見ることができる。これと同じように「概念」というサーチライトによって、照らされた事物を、われわれは「事実」として認識する(図3-2)。しかし現実にはまだサーチライトによって照らされていない、経験的世界の暗黒の部分が広がっている。この無限の暗黒はまだ「事実」として認識されていない、いわば残りの部分である。その意味でこの暗黒の部分は「残余カテゴリー(residual category)と呼ばれる。しかしながら、単なるサーチライトと、その光によって照らし出された事物と異なって、「概念」と「経験的世界」との間には普段の相互作用が存在している。「概念」は人間自身の思考によって修正される。それだけではなく概念は経験的世界の、人間への働きかけによっても修正される。

 ……概念が修正されるということはサーチライトの光が増えたり、角度が変わるということに他ならない。すなわちサーチライトの光が変ることによって、今まで見えなかった暗闇が照らし出され、新しい「事実」が認識されるのである。言いかえれば、「残余カテゴリー」という暗闇が、新しい「概念」によって照らされて「事実」に変化するのである。……この概念の修正、さらには新しい概念の創出こそ、人間の知的創造にとって、きわめて重要な働きなのである。


高根正昭,1979,『創造の方法学』講談社.pp.59-60