見田宗介による新聞の身上相談の分析(見田 1984)

見田宗介「現代における不幸の諸類型」

  • 見田宗介は『読売新聞』(東京版)で1962年の1年間に掲載された身上相談304件を材料にドキュメント分析をおこなった(見田 1984[1])。見田は身上相談の中に示されている不幸の事態と諸要因(顕在的な諸要因)を読み取り、それらの連関を図示している(木下 2013[2])。
  • 見田は身上相談を内容別に、「虚脱と倦怠」、「不安と焦燥」、「孤独と反目」、「欠乏と不満」という4つの不幸の諸類型に分けて分析。図は(見田 [1984]2012[3]: 9)

本研究の目的(見田 [1984]2012: 1)

  • 本稿で私が試みようとしていることは、現代人の日常生活のレベルにあらわれる「不幸」のさまざまな形態を手掛りとして、その背後にある因果連関を執拗にたぐる作業をくり返しながら、それぞれの事例における個別性をつきぬけた普遍的な問題状況としての、いわば人間の〈自己疎外〉——人間が、人間としての本質から疎外されている生き方の状態——をうきぼりにすると同時に、逆にこの普遍的な状況が一人一人の〈人生〉の問題に、どのような影を投げかけているか。その具体的なみちすじを解明していくことである。
  • したがって本論の目標は、現代における根元的な事態としての人間の自己疎外が、人びとの日常性を規定するさいのみちすじ、そこに介在する諸要因の布置連関を了解可能な方法で再構成してみることにある。

身上相談の持つ意味(見田 [1984]2012: 3-4)

  • 身上相談にあらわれる事例においては、第1に、平常な日常生活においてはアイマイなままに潜在化したり、中途はんぱなあらわれをしたり、相殺し合ったりしている不幸の諸要因が、より現代における不幸の諸類型が鮮明なかたちで顕在化している。しかも第2に、これらの要因について、この匿名の投書者たちは「社会調査員」はもとより同僚や友人や隣人たちにさえいえないようなことがらまでもすすんで打明けようとしている。これら二つの理由のために、身上相談においては、ふつうの家庭の「私生活」の壁の内側に深くおおわれたままになっている不幸のさまざまな要因が、活火山から噴き出した熔岩のように露出している[4]。身上相談はこのようにして、現代生活の日常性のさりげない表情の底にあるものを、われわれのまえにつきつける。

データとしての「限界」の吟味(見田 [1984]2012: 3-4)

  • 身上相談をえらんだのは、それが、理想的に完璧なデータであるからではなく、他のいろいろなデータとくらべてこの問題に最も適切なものの一つと考えられたからである。……数量的なデータとしての批判の基準はいうまでもなくさまざまな属性の比率や分布の「かたより(bias)」である。これにたいして、質的なデータとしての批判の基準は何であろうか。それは、類型および要因のカバレッジである。
  • 身上相談にあらわれやすい問題、あらわれにくい問題がある。たとえば男女間の問題、家庭内の葛藤なとは好んで投書され、また掲載される。……しかしもし、身上相談に絶対的にあらわれえない問題があれば、その分だけわれわれの研究には「限界」があることになる。次にそのような問題として、マスコミの身上相談には現われないとふつう考えられている「不幸の類型」を検討してみよう。
    • ①投書のかけない人びと——乳幼児、重病人、文盲、マスコミに接触しえないほどの極貧層の直面する不幸。
    • ②「インテリ」の不幸——インテリは一般に、身上相談を軽蔑して相手にしないと考えられている。
    • ③道徳上のタブー、とくにセックスのタブーにかかわる要因。
    • ④政治的・宗教的少数者の問題——マスコミのイデオロギー上の立場から「しめだされている」といわれる。
    • ⑤体制の根元的な価値にかかわるような要因——たとえば、私有財産制そのものの批判なしには解決しえないような問題も、本人の「心がまえ」や周囲の善意や、より現象的なレベルで処理されてしまう傾向がある。
    • ⑥あまりにも特殊的、個人的な問題——たとえば、高度の専門技術的な悩みなど。
    • ⑦「人生案内」としてとりあげるに値しないほどささいな不幸——電車の中で足をふまれた、となりのネコにオサシミをさらわれた、など。
  • このうち②③④は、けっしてあらわれないといえない。……次に⑥⑦は、われわれの研究にとってもまた、とりあげるに値しない問題である。したがって結局残る問題は①と⑤である。
  • ⑤の限界を補うために、われわれは、投書者や回答者のあげている要因や因果連関のみでなく、さらにその背後にある潜在的な要因や連関にまでさかのぼって分析をすすめなければならない。
  • ①の限界を補うためには、われわれは、投書者自身だけでなく、投書にあらわれる副次的な登場人物の境遇にも注意の眼をむけ、ある場合にはかれらの方に分析の焦点を移行した上で、投書にあらわれる要因や連関を再構成することが必要である。このような方法によって、自分では投書をかくことのできない多くの人びとの問題をカバーすることができる。

事例1(不安と焦燥)

 私は金融機関に勤務する27歳の女性で、①高齢の父母と3人ぐらしをしています。いくつかあった縁談も、両親も私も幸福になれるようにと望んだため、②まとまらず、現在に至っています。自分では気の進まぬ結婚をするくらいなら、独身で勤め続け、③両親をみてあげようと思っていますが、近隣や職場で理想が高すぎるとか。④オールドミスとかげ口をきかれ、職場ではけむたい存在ではないかと思うにつけ、⑤居づらい思いがし、⑥明朗さも失いがちな日々となってしまいました。私たちの職場では共かせぎができず、⑦女子は結婚すると退職しなければなりません。それで、⑧経済力をつけたいと洋裁を習いはじめ、こんど後期の勉強を、⑨東京の本校でおさめ師範免許をとるつもりでいますが、そうなると今の職場をやめねばなりません。⑩東京でどうやって勤め口をさがせばよいのか、⑪家や両親をどうすればよいのか、新聞の求人欄をみても、⑫現在の給料の半分にもならないので思案にくれています。(長野・R子)(『読売新聞』東京版、1962年10月20日)

データ材料に示された顕在的な諸要因連関の読み取り

  • 見田は⑨「東京で洋裁の師範免許をとりたい」という望みに注目し、投書者が「焦燥」という不幸の事態を訴えていると読み取る。したがって、不幸の諸要因の連関は、⑨を中心に据えて考察される。例えば、⑨の望みをもたらしているのは、⑤「職場に居づらいこと」ではないか。⑨のように望むけれど、⑪「家や両親が気がかり」といったように、である。

潜在的な諸要因の推測

  • 見田は、顕在的な要因の特定部分に着目し、それに影響を与えている他の要因を推測している。見田は5つの潜在的な諸要因を導き出し、他の要因との連関を叙述(見田 1984: 31-2)。
    • Ⅰ 老後の社会保障がないこと…一人娘だから父母を養わなければならず、結婚が阻害される(①、②、③)のはなぜか。これをもたらす要因として、老後の社会保障がないことがあげられる。
    • Ⅱ 〈女の幸福〉のステレオタイプ……一定年齢以上の女性が職場や近隣で居づらい思いをさせられる(④、⑤)ことには、〈女の幸福〉は家庭にのみあり、独身女性は人生の失敗者であるという通念自体が、大きな要因として働いていると考えられる。
    • Ⅲ 職場の「花」としての女性の地位……結婚すると退職しなければならない(⑦)という慣行には、職場において実質的な戦力として女性に期待がされていないことが影響しているであろう。この要因は同時に、「婚期」後の女性の就職難(⑫)にも作用しているといえる。
    • Ⅳ 社会的過剰人口……「婚期」後の女性の就職難(⑫)には、その他にもうひとつ、社会全体として、就職希望者に対して求人数が少ないという要因も働いていると考えられる。
    • Ⅴ 閉塞感と〈都会〉への脱出衝動

図にまとめる:不幸の要因連関図

  • 図中の④、⑤から⑨の流れを見てみよう。現在の職場、居住地に居たくないということと、東京に出て資格をとるということは、必ずしも直結しない。まず④、⑤からは周囲の口もうるさいし結婚の機会も少〈いなか〉の閉塞感という要因が導かれる。そしてこの閉塞惑と表裏一体となっているの〈いなか〉の対極である〈都会〉への脱出衝動なのである。④、⑤と⑨との間には、閉塞感〈都会〉への脱出衝動という要因が媒介していると考えられる

事例2(欠乏と不安)

 新潟に住む妹一家のことでご相談いたします。妹には中学2年、小学6年と、ことし新入学の3人の子がいるのに①先日夫が36歳の若さで急死。妹の夫は②ある問屋の運転手でしたが、③退職金もなく香典を2万円もらっただけでした。④妹はいままでも人夫などをして貧しいくらしをやりくりしてきたのに、これから先どうしたらよいかと手紙で泣いてきます。⑤いなかのこととて葬儀などやかましく力にもならぬ親類が多勢集まって一生の別れだといって酒ばかりのんでいるそうです。生活保護の申請はしたそうですが、⑥テレビの月賦が2万円も残っており、子どもの心を思うとすぐ売る気にもなれず、それに新入学の子が新しいランドセルや洋服など楽しみにしていたのを思い切らせるのがつらいといいます。⑦このような母子家庭に、子どもが働けるようになるまでお金を貸してくれる機関はないものか、とつくづく思います。離れて住む妹のためによいおチエを貸して下さい。(秋田、一主婦)

要因・連関の分析

  1. 夫を喪った母子家庭の生活苦……直接的な原因として、香典の他には退職金ももらえず、収入の保障がないこと、「親類づきあい」から強要される葬式の出費と、テレビの月賦や子供の入学準備のための支出の増大。ⅣとⅤと関連。
  2. 夫の「急死」の原因としての労働条件……「運転手」という職業からみて事故がありうる。その場合は、運転手の労働条件その他一連の社会的要因が関係する。ただし、データだけからは確定できない。
  3. 中小企業の劣悪な労働条件……夫の死によって家族がただちに途方にくれるということは、共稼ぎ(夫が運転手、妻が人夫)にもかかわらず「もしも」にそなえての蓄積をのこす余裕かなかったということ。背後にあるのは日本経済の「二重構造」の問題。
  4. 過剰人口の問題と社会的な保障の不備……遺族の将来の生活が保障されないということは、未亡人にとって満足な仕事をみつけることが困難。
  5. 現代社会における消費欲求の拡大と平準化が〈下層〉にもたらす圧力……田舎の冠婚葬祭の風習による葬式の出費とならんで、「テレビの月賦」の払い残りが大きな負担に。近代化・都市化過程の不均衡の中で、「伝統社会的」要因と「大衆社会的」要因とがみごとに共存、それが二重の負担に。

見田の身上相談分析に関する留意点(佐藤 2015[1]

  • この論文は1960年代ないし70年代前後には、社会調査における既存資料の利用という点においては一定の意義を持っていたのかも知れない。しかしながら、この、「KJ法」の図解を思わせる図からも見て取れるように、幾つかの図式はおびただしい数の変数が盛り込まれ、また因果経路があまりにも錯綜したものになってしまっている。このような、「生の資料」をいったん整理してみた程度の図式(ないし「KJ法」的な図解)は、もしかしたら、美しい因果モデルの構築にとって有力な素材になりうるものかも知れない。しかし、このままでは、いわゆる「ベタな記述」の段階に留まってしまっている。
  • 因果モデルを示すには効率性、つまり説明の簡明さや経済性という点に関して相当程度の問題を孕んでいる。

[1] 佐藤郁哉,2015,『社会調査の考え方 下』東京大学出版会.


[1] 見田宗介,[1963]1984,『新版現代日本の精神構造』弘文堂.

[2] 木下栄二,2013,「質的調査の実際」大谷信介・木下栄二・後藤範章・小松洋編『新・社会調査へのアプローチ——論理と方法』ミネルヴァ書房,268-312.

[3] 見田宗介,2012,『定本見田宗介著作集 5 現代化日本の精神構造』岩波書店

[4] 活火山から噴き出した熔岩を分析することをつうじて、地殼の内部的な構造を理解するための有力な手掛りがえられる。極端な、あるいはむしろ例外的な事例が、他の多くの平常的な事例を理解するための、いっそう有効な戦略データとなることは、自然科学においてさえ多くみられる。