著者は、昭和58年の夏から翌年の春ごろまでは、毎週水曜日(59年はじめからは土曜日に変更)に行われる右京連合の「集会」に参加し、また、パーティーにも何度か参加したほか、OB数名とはより密接な接触を保ってきた。第1章以下でみるように、本書を作成するにあたっては、比較的形式を整えたインタビューやアンケート調査も行ってはいるが、本書で下される結論や推論の多くは、むしろ、そのような1年間にわたる右京連合のメンバーたちとの日常的な接触から著者が得た印象や直観にもとづいているのである。
このような「調査」法を、文化人類学や社会学では、「参与観察法」とよび、「調査者」は「参与観察者」とよばれる。しかし、ブュフォード・ジュンカのいうように、比較的長期にわたってフィールド調査を行う者は、「参与観察者」という固定した役割で調査対象者の社会の中に位置づけられるというよりは、「参与者」と「観察者」の間を揺れ動くのである。これは、著者が1年近く行った「調査」あるいは「取材」についてもあてはまる。
それは、右京連合のメンバーたちが著者を呼ぶさいの呼び名にも表れていた。著者は、あるときには「カメラマンさん」であり、あるときには「△△〔著者の本名〕サン」、ごくまれにではあるが、「身内」あるいは「ツレ」とも呼ばれたのである。もっとも、一番多かったのは「オッチャン」という呼び方でありそれについで「インタビューマンさん」と呼はれることも多かった。
10代後半および20代前半の者がほとんどを占める集団の中を、30に近い人間がウロウロすること自体かなり奇妙な光景ではある。恐らく右京連合のメンバーの多くにとっても、著者のようなきわめて下手クソな京都弁を平気で使う、暴走族の取材をしている割には運転が下手で方向音痴、しかも服装のセンスがまるでなっていない男の存在は、奇妙なものであったことだろう。著者にとっても、事情は同じようなものであった。著者の育ってきた地域の環境や社会環境とはきわめて異なる世界に住み、異質な好みと考え方をもつ若者たちの世界は著者にとってきわめて新鮮なものではあったが、一方では、「取材」を進める中で違和感や狼狽をおぼえることも少なくなかったのである。本書は、そのような著者のカルチャーショック体験の記録でもある。
佐藤郁哉,1984,『暴走族のエスノグラフィー――モードの叛乱と文化の呪縛』新曜社.pp.16-7