私たちはどのようにノーツに感情や分析を書きつけていけばいいのでしょうか。そのためには、仕事をはじめる前から出発するという不可能をなし遂げなければなりません。最初に電話したり、訪問したりする前に、〔調査地について思っていることを〕自由に書いてみなさい(Elbow 1981を参照)。そのときは、つづりも文法も首尾一貫性も気にせず、す早く、たけり狂ったように書きなさい。そして自分に問いかけるのです。これから研究しようとする人々や場所について、自分ではどんなイメージをもっているのだろうか。またそうしたイメージについてどう感じるのだろうか。今回、この調査地について研究することになったのはどのようにしてなのだろうか。
この調査地が満たすことになると思われるニーズについても自分に問いかけましょう。たとえば、〔調査をすることについて〕自分には何かたくらみがあるのだろうか。使命があるのだろうか。〔自分の行動を社会のなかで正しいものとするための〕立派な意味づけやコミュニティを探しているのだろうか。この研究が個人としてかかえる自分の問題を解決するのに役だつと思っているのだろうか。いまとは違う自己へと新たに変わっていきたいと思っているのだろうか。どんな政治的前提が自分にはあるのだろうか。自分が何者であり、何を信じているかといったことのために、調査地ではどのような活動や下位集団を避けたり、値打ちがないものと思ってしまったりするのだろうか。こんな問いかけです。データを集めているときも、人々や場所について期待していたことと、フィールドに入った頃に観察したことのあいだに落差があれば、そのことを自由に書いてみなさい(Geer 1967; Kleinman 1980; Krieger 1985も参照)。
フィールドに出てしまったら、何をするのでしょうか。自分のことは無視し、研究する相手について見聞きすることに全力を傾けるということもありがちです。そうでなく、自分もその調査地で1人前に参加しているのだと仮定してみなさい。フィールドで少ししか時間を過ごせていなくても問題ではありません。そこにいるだけで、その一部になれるのです。こうしてみなさい。自分がその調査地を観察している別の人になったつもりでノーツを書くのです。自分が言ったこと、したことを、そのフィールドワーカーがメモし、自分がどう感じ、何を考えているかとたずねてくるのです。このように、自分をあつかわねばなりません。
できる限り、自分のいろいろな反応をフィールドノーツに書きこみなさい。調査協力者が言ったことに腹がたつなら、その人の言葉を紙のうえに書きだして引用したすぐあとに、あなたの反応も書きこみなさい。特に、何を感じていたのかはっきりしないときには、短いメモをつけることを選んでもよいのです。たとえば、「私は不安な気分でした。彼から離れたかったのです。なぜかはわかりません」などと書くのです。
ノーツを書き終わったら、1日かそこら寝かしておきなさい。その頃には「ノーツについてのノーツ」を書く準備ができています。フィールドノーツを読み、ノーツに書きとめた感情についてよく考え、なぜそう感じたと思うかを書きなさい。そうした反応の裏側には、どんな仮定があるのでしょうか。いろいろな感じ方は自分について何を教えてくれるでしょうか。調査地での自分の役割についてでしょうか。自分以外の調査協力者たちの役割についてでしょうか。それともフィールドワークについてでしょうか。〔参与観察やインタビューの〕一方法論について理想を追い求めるたぐいの〔現実離れした〕考えをもっている自分に気づくこともあります。
ノーツを読みながら、それを書いているときにもちいた自分の言葉の調子について考えてみなさい。相手と距離をおいた感じか、それとも相手と深くかかわった調子でしょうか。あざけるようか、それとも共感的な調子でしょうか。幸せそうか、それとも悲しそうな調子でしょうか。自分は、心に葛藤があるふうでしょうか、自分を守ろうとしているふうでしょうか、隠しごとがあるふうでしょうか、のけものになっているふうでしょうか。自分の反応は以前にノーツに書いたものとは違っていますか。それはどんなふうにですか。ときには自分に次のように問いかけてみましょう。これまでのところ、自分自身や調査協力者のどんな変化に気づいただろうかと。ノーツについてのノーツを書きながらこうした問いかけを自分にしてみれば、分析をすすめながら、それ以前に書いたいろいろなノーツをそこに組みいれることになります。
どんなにフィールドノーツの量が増えても、時期ごとに少なくとも二組のノーツをいつも作っておくべきです。それは、1つはフィールドを訪問したりインタビューしたりしたすぐあとに書いたノーツで、もう1つはそれへの注釈(つまり、ノーツについてのノーツ)です。〈書きながら〉、前のいろいろなノーツについて何か筋道だった理解ができないうちは、フィールドに戻ってはいけません。考えた事柄を紙のうえに書きつくすまでは、ノーツは不完全だと思う感覚を身につけるようにしなさい。
世のなかへの見方を自分と共有するメンバーの集まりを自分で創りだすか、すでにあるそうした仲間に入りなさい(第5章を参照)。自分とは違う学問をしている人たちを仲間に入れることも考えましょう。書くためのグループと自称するかどうかは別にして、書いたものを大きな声で読みあげ、自分の言葉が他の人にどう聞こえるか、反響を聞くのは役にたちます(一つの手本として、Elbow.1973を参照)。自分のフィールドノーツや分析のノーツをいくつか、グループに向けて読みあげなさい。自分の説明のなかに織りこまれた前提を聞きわけるように頼むのです。自分の感じることをすべて自覚することは難しいし、もともと知ってはいた気持ちに困惑することもあります。読みながらの、自分の態度、気分、あるいは言葉の調子などを他の人に指摘してもらうのです。彼らは自分の仕事をよくする役にたってくれ、プロジェクトをきっちりやりこなせているかどうかという不安を、少しはとりのぞいてくれるでしょう。
Kleinman, Sherryl and Martha A. Copp, 1993, Emotions and Fieldwork, Newbury Park, Calif.: Sage. (鎌田大資・寺岡伸悟訳,2006,『感情とフィールドワーク』世界思想社.)pp.147-51 ※これは非参与観察ではなく、参与観察を前提としています。