『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』〈ヤンチャな子ら〉と教師の関係(知念 2017)

 始業の鐘が鳴り、山本先生が出席を取り始める。約1分後、ダイがフライドポテトを食べながら教室に入ってきた。山本先生はすかさず「食べながら授業受けない。もうそこ(空席を指差す)、置いて」と注意した。ダイは、それに「はーい」と応じる。その直後、シュウがソバを持って教室に入ってきた。山本先生は二人続いて食べ物をもって教室に入ってきたので、「シュウ…(食べ物)持って教室入らないで」と苦笑した。するとシュウは、教室に入る前に麺を一気に吸い、汁を飲み干した。「ずずっ」という音に、山本先生は「吸ってるし」とツッコミを入れながら、授業(「食物としての生物」)に関わる質問をする。

山本:じゃあ、もう、食べてるついでに。なんで食べてるん?

シュウ:うまいから

山本:うまいからだけ?

シュウ:おなかすいたから。

山本:おなかすいているのはなんで?

ダイ:食べないと死ぬから。

シュウ:食欲

 シュウはそのやり取りをしながら席に着く。そして、そのやりとりをきっかけに山本先生は授業に入っていった。(フィールドノーツ、2010年4月16日)

 教師は生徒の行為を注意しながら、それを授業の文脈に引きつけて、授業の主導権を維持している。このように〈ヤンチャな子ら〉の対処戦略に屈することなく、教師たちは時間と空間を再コントロールし、授業を成立させていくのである


  • 知念渉,2017,「『いじめ』問題がつくる視角と死角」片山悠樹・内田良・古田和久・牧野智和編『半径5メートルからの教育社会学』大月書店,193-213.p.93-4