「トッぽさ」を求めて
「幕府」のメンバーが、暴走族的な下位文化に関心を持ち出すのは総じて中学時代であった。そのきっかけは、中学校に対する不適応である。当時若手のOBであったS氏によれば「中学ん時は、何かモヤっぺえ奴ばっかで、みんなまじめつつうか……」と述べた。「モヤっぺえ」とは、「もやし(子)っぽい」という言葉が転じたもので、「びびって(後込みして)なにもできない」「単車にも怖くて乗れない」人間のことを意味する。それは暴走族的な下位文化に参入するだけの度胸を欠いた男らしくない人間を指す言葉であり、「幕府」を中心としたA市の不良たちの間では、否定的なパーソナリティを意味する。S氏が述べているのは、そうした学校文化に順応的な「まじめ」な生徒に対する違和感である。
学校に対する違和感は、学校文化と対抗的な下位文化への興味と関心を高めていく。若手のOBのI氏が述べるには、まず「ロックンロール」に興味を持ち、喫煙を始め、校則違反の服装をし、夜遊びをし、怠学し、シンナーの吸引、無免許で「単車」(400cc以下の中型オートバイ)を乗り回すといった「ごく普通の不良中学生」としての実践を一通り経験していく。
こうした逸脱的な下位文化への本格的な参与は、「モヤっぽさ」の対極にある「トッぽさ」を身につけていく行為である。「トッぽい」とは、広辞苑によると「(俗語)きざで生意気である」ことを上露するが、A市の不良たちの間では、「男っぽい」または、「不良っぽい」という音傑で使われている。それは彼らにとってあこがれる「格好良さ」を意味する言葉である。
中学生の不良たちにとって、具体的に「トッぽさ」を体現しているのは、同じ中学校に通う不良の先輩、そしてその先輩格にあたる「幕府」のメンバーである。「幕府」のメンバーが行うことは、中学生の不良たちのロール・モデルとして位置づけられ、彼らの行動を自分たちで見よう見まねで学習していく。それはより「トッぽく」なるための次のステージ、つまり「幕府」に加入する前のいわば「予習」である。
「トッぽい」こと、つまり不良としての実践の中でロックンロールに注目したい。当時の若手OBであったS氏は、中学生時代に抱いたロックンロールに対するあこがれを以下のように述べる。
中学になると、ああいうのが暮良く見えんだよね。俺らの2コ上の人らがやってんのを見たりして……(歳)上の人がやってんのって格好良く見えんだよね……。不良中学生の先輩格となる「番」のメンバーが、地元の曇時に設置される歩行者天国で道路を占有し、ロックンロールを踊る姿の格好良さにあこがれるのである。
ロックンロールには、踊りのみならず使われる楽曲、ファッションなど多様な知識と資材が必要とされる。しかしながらこれらの知識と資材は、一般的な流行とはかけ離れたいわば過去のものであるため、必要な情報は「幕府」のメンバーまたはOBの兄弟や先輩などから得る。その情報を手がかりに、中学生たちはロックンロールのための必要な音源や洋服を熱心に手に入れようとする。
しかし「トッぽく」なるための不良としての中学生の活動は、周辺的な参加にすぎない。ロックンロールは中でも中学生が力を入れて行う活動であるが、それは直接「幕府」のメンバーと接触し覚えていくというよりも、その周辺で独自に行われる活動であった。その理由は、「走り」(暴走)、そしてロックンロールなど地域で表舞台に立つことができるような活動は、「幕府」のメンバーに制限されているからである。それを理解している中学生ができるのは、祭りの場でその様子を熱心に見学し、覚えたステップを仲間内で練習することに限られる。
祭りにおけるロックンロール・小競り合い・暴走
中学校を卒業すると、次のステップとして暴走族「幕府」への加入がある。「幕府」への加入は、中学校を卒業した春休みから可能となる。暴走族として活動することは、常に警察に捕まる可能性が高いリスクを伴うものであるため、中学時代に「幕府」のメンバーにあこがれても実際に加入するには多少の躊躇がある。そのため自ら加入していくメンバーはごく少数で、「友達に誘われた」り、「先輩に呼ばれて、入るようにいわれた」ことがその直接的な契機となっている。
「幕府」の活動は、通常では週2回の「集会」(ミーティングと雑談)、単発的な暴走、特別な行事としてクリスマス・正月、元メンバーの命日近辺に行われる「でっかい走り」(大規模な書、それに地元と近隣町村でのロックンロールと暴走がある。
「幕府」の行事の中で最も重要なのは、地元の祭りにおけるロックンロールと暴走である。当時現役メンバーであったK氏は地元でのロックンロールと暴走の構成に関して以下のように述べた。「あれには、3つの見せ場があんですよ(あるんですよ)。1つは踊り。もう1っつは、おまわりとのケンカ。そして最後に、暴走」。「おまわりとのケンカ」とは、歩行者天国解除後も踊り続ける「幕府」のメンバーとそれを強制的に中止させようとする「警察」との小競り合いを音傑する。葉とは、小競り合いが一段落し警察が去ると歩行者天国が設置された場所をメンバーが自分のバイクで走り回る行為である。
大山昌彦,2009,「暴走族文化の継承」五十嵐太郎編『ヤンキー文化論序説』河出書房新社,185-201.pp.186-89