「幕府」のメンバーたちはロックンロールの後毎年のように、商店会からの忠告を無視し、警察と「ケンカ」をし、必ずと言っていいほど地元の大人たちとの約束を反故にし、付近をバイクで暴走し大騒ぎをしてきた。警察との小競り合いと暴走は、歩行者天国を開催する商店会側のメンバーも問題視していたが、不思議なことに「幕府」は祭りの場から強制的に排除されることはなかった。
その理由は大きく分けて二つある。歩行者天国の主催者側が「幕府」が暴走族とはいっても、基本的に地元の若者で構成されている集団であり、時にはその素性までも知っていることである。それは自分の子どもの同級生であったり、幼いころから知っている、または部活動の自分の後輩であったりした。
もう一つの理由は、「幕府」のメンバーが祭りを妨害しないことを大人たちが理解していることである。電気店の店主は祭りのメンバーの様子を以下のように述べていた。
あの子たち(「幕府」のメンバー)もねえ御輿通るときなんてちゃんとどくんですよ。それに終わった後なんてねえ一番下の子(最のメンバー)が掃除す(る)んですよ。
「幕府」のメンバーが御輿や山車の運行を優先させたり、終了後清掃を行う理由は、祭りの関係者、つまり地元の大人の中に年長のOBが存在していることである。特に御輿の会には「幕府」のOBが数多く参加していた。また、終わった後の清掃を始めたいきさつは、祭りを開催する商店会のメンバーの意向が年長のOBを通して当時の現役メンバーに伝えられたことであった。その当時総長だったOBのI氏は以下のように述べている。「ゴミ拾いは、俺らんときぐらいからやってんの……。まあ、そん時、OBの先輩に言われたからなんだけど……」。
このように「幕府」のメンバーが祭りの秩序に従うのは、OBとの間の厳密な上下関係に基づいている。それと同時に、暴走族との関係が希薄化し地元の大人として生活する年長のOBは、地元社会と「幕府」のメンバーとの媒介となり、メンバーを祭りの秩序に従わせる上で大きな役割を果たしていた。
大山昌彦,2009,「暴走族文化の継承」五十嵐太郎編『ヤンキー文化論序説』河出書房新社,185-201.pp.197-8