暴走族のエスノグラフィー 第3節 技法と構図

1 エスノグラフィー

 第1章以下に描かれているのは、数あるモーターサイクルギャング活動の中でも、「暴走族」という名のついた。日本における第3期のモーターサイクルギャング活動にかかわっていた若者たちの姿である。これまで、彼らについて描くさいには、大きく分けて2通りの描き方があった。暴走族に批判的なマスコミ、学術文献、公的な刊行物の多くは、暴走族集団を「犯罪(者)集団」「非行集団」あるいは「無法集団」として描く。暴走という活動は、無謀な不法行為であり、そのような非合理的かつ病理的な活動に参加する若者たちは、なんらかの理由で欲求不満や劣等感にさいなまれる社会からの「落伍者」であるとされる。

 一方で、暴走族に好意的あるいは同情・同調的なジャーナリストおよび暴走族の若者自身によって書かれた出版物の中では、暴走族はピカロ(悪漢型英雄)あるいはトリックスターとして描かれる。暴走は、若者たちが自らの手で作りあげた祝祭として、あるいは管理社会や体制の抑圧に対する捨身の挑戦として描かれ、暴走族集団は、不敵な勇者、またある場合には革命家の集う結社とされる。

 この2通りの描き方の間にある相違の背景の一つとしては、まず、描き手の社会的立場や利害関心の違いがあげられる。しかし、それと並んで重要なのは、描かれる対象(=モデル)と描き手との間の関係の違いである。最初にあげた描き方の場合には、描き手は、暴走族活動に対して局外者の立場に立ち、暴走族の若者たちを「はみ出し者」として描く。これに対し、第2の描き方の場合には、描き手は暴走族活動に対して当事者あるいはそれに近い立場——代弁者、同情者——をとる。

 本書における描き手とモデルの間の関係は、右の2つのどちらでもない。描き手は、モデルに対して完全な局外者としての立場をとるわけではない。しかし、かといって、完全な当事者あるいは代弁者としてモデルを描くわけでもない。本書において、描き手はモデルとなる暴走族の若者たち自身の言葉や物の観方を借りて暴走族活動とそのサブカルチャーの特徴を描き出すが、一方では、それを局外者にも理解できる言葉に翻訳してから表現する。時には、逆に、局外者の目で見た暴走族の姿をも描き出す。すなわち、本書において描き手は、暴走族の若者と局外者との間をつなぐ、、通訳のような存在になるのである。

 ある人間が通訳になるための修業をするためには、違う言語を使う者たちの間に入って、その言語に含まれる色々な言葉の意味あいやその使い方を教えてもらうやり方が手っ取り早いし、ある意味では理想的でもある。著者が本書を書くために行ったのは、まさにそのようなやり方である。昭和58年の夏から翌年の夏までの約1年間、著者は、京都市の暴走族グループ・右京連合の現役メンバーおよび「OB」とつきあってきたのである。通常、社会学や心理学の学術文献では、このような場合、〈昭和58年……および「OB」を対象として調査を進めてきた〉と書くところである。しかし、著者がこの1年間行ってきたことを表現するためには、「調査」よりは、「取材」あるいは「彼らの間をウロウロしていた」という方の方がふさわしい。

 著者は、昭和58年の夏から翌年の春ごろまでは、毎週水曜日(59年はじめからは土曜日に変更)に行われる右京連合の「集会」に参加し、また、パーティーにも何度か参加したほか、OB数名とはより密接な接触を保ってきた。第1章以下でみるように、本書を作成するにあたっては、比較的形式を整えたインタビューやアンケート調査も行ってはいるが、本書で下される結論や推論の多くは、むしろ、そのような1年間にわたる右京連合のメンバーたちとの日常的な接触から著者が得た印象や直観にもとづいているのである。

 このような「調査」法を、文化人類学や社会学では、「参与観察法」とよび、「調査者」は「参与観察者」とよばれる。しかし、ブュフォード・ジュンカーのいうように、比較的長期にわたってフィールド調査を行う者は、「参与観察者」という固定した役割で調査対象者の社会の中に位置づけられるというよりは、「参与者」と「観察者」の間を揺れ動くのである。これは、著者が1年近く行った「調査」あるいは「取材」についてもあてはまる。

 それは、右京連合のメンバーたちが著者を呼ぶさいの呼び名にも表れていた。著者は、あるときには「カメラマンさん」であり、あるときには「△△〔著者の本名〕サン」、ごくまれにではあるが、「身内」あるいは「ツレ」とも呼ばれたのである。もっとも、一番多かったのは「オッチャン」という呼び方でありそれについで「インタビューマンさん」と呼ばれることも多かった。

 10代後半および20代前半の者がほとんどを占める集団の中を、30に近い人間がウロウロすること自体かなり奇妙な光景ではある。恐らく右京連合のメンバーの多くにとっても、著者のようなきわめて下手クソな京都弁を平気で使う、暴走族の取材をしている割には運転が下手で方向音痴、しかも服装のセンスがまるでなっていない男の存在は、奇妙なものであったことだろう。著者にとっても、事情は同じようなものであった。著者の育ってきた地域の環境や社会環境とはきわめて異なる世界に住み、異質な好みと考え方をもつ若者たちの世界は著者にとってきわめて新鮮なものではあったが、一方では、「取材」を進める中で違和感や狼狽をおぼえることも少なくなかったのである。本書は、そのような著者のカルチャーショック体験の記録でもある。

 フィールド調査や参与観察法による調査の結果をまとめた報告は、よく「民族誌ethnography」とよばれる。エスノグラフィーは、それを作成する者(=「エスノグラファー」)が、その対象となる集団のもつ文化に接触して体験するカルチャーショックの記録であるということもできる。エスノグラフィーにおける記述のモデルとなる、フィールド調査の対象者は、統計的調査の場合のように「サンプル」でもなければ、心理学の実験のように「被験者」でもない。エスノグラフィーの対象者は、エスノグラファーに自分たちの言葉や考え方を教える教師でもあれば、時には友人ともなる、「インフォーマント」である。本書は、この意味で、右京連合のメンバーがインフォーマントである、「暴走族のエスノグラフィー」であり、「右京連合のエスノグラフィー」である。

2 遊び

 「暴走族」を参与観察的手法によってエスノグラフィーとして描くといっても、様々な視点と構図が考えられる。「青年期」や「社会解体」あるいは「非行」はそれぞれ重要な意義をもつ視点である。しかし、本書ではそれらの視点はとらない。

 本書のエスノグラフィーがとる視点は、「遊び」である。これまでの暴走族に関する文献の中にも、暴走族活動に含まれる「遊び」に言及した例は多い。ジャーナリスティックな出版物の多くは、暴走の「遊び」あるいは「祭り」としての性格を強調する。学術的研究にも、暴走行為を「遊び型非行」の一例としてとらえたり、グループ名にみられる言葉遊びに注目する例は多い。しかし、どちらの場合にせよ、多くの場合「遊び」はごく大雑把な記述の枠組として使われているにすぎず、「遊び」という言葉で表現される様々な活動や経験内容の特徴を詳細に記述・分析した例はほとんどない。

 ジャーナリスティックな出版物は、「暴走は俺たちの祭りだ」あるいは「遊びのようなもんさ」という若者たちの言葉をそのまま掲載したり、ジャーナリストの見た。あるいは参加した暴走の印象を「遊び」や「カーニバル」という言葉を使って描写しているにすぎない。一方、学術的文献の多くは、ロジェ・カイヨワの遊びの分類を借りて、暴走を「めまいの遊び/グループ名にみられる特徴を「模倣の遊び」とする例に典型的にみられるように、暴走族活動に含まれるいくつかの「遊び」を既存のカテゴリーに分類するにとどまり、それ以上に詳細な検討を加えている例はまれである。

 これは、一つには、いわゆる「逸脱者」を対象とする研究に特有の、様々な方法的問題にもよるが、なによりも、「遊び」という言葉で括られる種々様々な活動や経験内容に関する分野の、理論的・実証的研究が立ち遅れていることに由来している63しかし、幸いなことには、社会科学のいくつかの分野には、暴走族活動に含まれる様々な「遊び」を記述し分析を加えるうえで有効な視点がいくつか存在する。まず、心理学では、「内発的動機づけ」とよばれる分野の研究が、遊びの動機づけに関する分析の枠組を提供する。文化人類学では、「象徴人類学」などとよばれる分野の諸研究が、遊びやその他の非日常的活動の象徴的意味の理解にとって重要な知見を提供してくれる。一方、社会学の分野では、シンボリック相互作用論の系譜につらなる理論的、実証的研究が、遊びの象徴的意味の分析とその社会運動や社会的行為との関連の分析にとって有用な示唆を与えてくれる。

 それぞれの分野における研究の含む知見や示唆が、暴走族活動を理解していくうえでどのような意義をもっているかについては、第1章以下で明らかにしていくが、右にあげた3つの分野の諸研究は、人の行為および文化の構造と働きにおいて、シンボルや「意味」のはたす役割の重要性を強調している点で共通している。第1章以下では、暴走族活動にみられる様々な「遊び」を、若者たちが自らの手で生活に一定の秩序と意味を与えていこうとする営みの表れとしてとらえ、それを次の3つのジャンルに分けて検討していく。

 第1章「スピードとスリル」暴走の最中の「スピードとスリル」とは、一体どのような経験内容なのか。それを可能にしているのは、暴走という活動のどのような側面なのか。

 第2章「ファッションとスタイル」暴走族の若者は、どうしてクルマや単車にはなはだしい改造を施すのか。おどろおどろしいグループ名には、どのような意味がこめられているのか。また、「特攻服」や鉢巻きを使用するのは、どのような理由にもとづいているのか。

 第3, 4, 5, 6章「ドラマとドラマ化、ドラマーⅠ〜Ⅲ」暴走族をめぐるマスコミのセンセーショナルな報道の背景にあるのは何か。4万人を超える若者たちが暴走族活動に参加していったのは、一体、いかなる理由によるのか。暴走族からの「卒業」は、どのような意味をもつのか。


佐藤郁哉,1984,『暴走族のエスノグラフィー——モードの叛乱と文化の呪縛』新曜社.pp.14-20