近代社会で婚姻と家族がリプロダクションに結び付けられているのは、次世代の労働力を家族というユニットに一任するという原則が採用されているからである。その原則を推し進めてきたのが、ロマンティックラブ・イデオロギーという発想だ。ロマンティックラブは、一般に恋愛と訳される近代の規範である。その意味するところは、性と愛の合致である。ということは、性と愛の合致を前提としない価値観もかつてはあったということである。たとえば近世まで、身分が高い者に側室の制度があったことはよく知られている。また近代に入っても、婚姻には家同士の結合という側面があり、親同士が子どものころに子どもの婚姻相手(許嫁/許婚)を決めておく習慣もあった。これらは当人たちにしてみれば、愛(情緒的関係性)よりも性(リプロダクション)と経済的資源分配が優先されていることを意味する。現在でも、しばしば「彼氏と結婚相手は別」という女性の話を聞くことがあるが、これも愛と性を区分した感覚に基づいているといえるだろう。情緒的関係性と、リプロダクションと経済的資源分配とを分けて認識するという感覚の名残ともいえる。
しかし、ロマンティックラブはこれらの感覚とは異なる。ロマンティックラブでは、情緒的結合と性的結合の-致が理想とされるのである。またロマンティックラブはリベラリズムに基づくものでもある。ロマンティックラブが情緒的結合を前提としている以上、個人の内面的感情が優先され、それに基づいて、誰と性的な関係性を結ぶのかを決めるべきだということになる。これは、近代以前の社会的地位やイエ単位での都合によるものよりも、個人の内的感情を優先させる規準である1(1)。明治期にロマンティックラブの概念が日本に輸入されたとき、当初「自由恋愛」という訳語が充てられていたのは、そのような意味合いがあったからである。
必然的に、ロマンティックラブはモノガミーと結び付く。モノガミーとは単婚という意味で、狭義では婚姻制度としての一夫一婦制を指す。ここでは1対の男女が結び付くことこそ自然で至上である、という感覚(カップル幻想)も含むものとして定義する2(2)。リベラルな情緒的関係を基盤に、性的な結合も編成されるべきだという考えは、モノガミーの規範性を強化する。そしてそれが近代的制度と結び付いたものが、ロマンティックラブ・イデオロギーである。ロマンティックラブ・イデオロギーは、愛と性が合致し、それが婚姻という形態で結実することを理想とする考え方で、性と愛と婚姻との三位一体を至上とする感覚のことである。何のことはない、現代日本で一般的な恋愛結婚を理想とする感覚のことである。
これはきわめて近代という時代に深く結び付いた発想である。実際、日本でも、お見合い結婚ではなく恋愛結婚が主流になったのは1970年代であり、それほど新しい感覚ではない。ただ、ロマンティックラブ・イデオロギーが広まったことによって、異性愛制度が当然のものになり、それを支えるホモソーシャルな構造(女性の性的存在化と公的領域からの排除と外部化・家庭化)は強化されることになる。そしてリプロダクションと次世代の育成も、母親の愛情を基点にして、家族というユニットに一任することが可能になるのである。つまり愛にあふれる家庭とは、両親の性愛のありようと、女性の無償労働化を制度化する家族モデルである。
確認しておく必要があるのは、ロマンティックラブ・イデオロギーは、性と愛と婚姻の合一を目指すものであり、さらにドメスティック・イデオロギーに支えられた経済的資源分配、リプロダクションと次世代育成までをも、究極的には両性の内面の感情に依存させるシステムだということである。そこで合致すべき要因は多く、そのいずれかが不一致になった場合、システム全体が崩壊するリスクを有している。離婚率の上昇はその現れである。ロマンティックラブ・イデオロギーに支えられるシステムは、情緒的関係と性的・経済的関係を区分していたころのそれと比べると、維持が格段に難しいものといえる。ロマンティックラブ・イデオロギーに支えられる夫婦と家族は、諸要素を合致させることによって近代国民国家社会に多大な貢献をすることが求められるが、同時に合致を維持することの困難さのために崩壊のリスクも大きいのである。
- イエというカタカナ表記は、主に近代以前の大家族制度の名残としてのイエ制度を指す。近代家族や○○家などの固有の家族名と混同しないように表記している。 ↩︎
- モノガミーは異性愛カップルを基準に生み出された感覚だが、現在では異性愛に限定された感覚ではないだろう。異性愛か同性愛かという問題と、モノガミーにどの程度まで規範的拘束力があるかは、別の問題といえる。 ↩︎
池田緑,2024,『ジェンダーの考え方――権力とポジショナリティから考える入門書』青弓社.pp.134-6