丼家の組織エスノグラフィー
次に、日本の労働現場の質的調査研究の一つとして、『丼家の経営』(田中 2015)という著作を紹介しましょう。「24時間営業の組織エスノグラフィー」という副題を持つこの書物は、24時間営業の丼家を対象にフィールドワークを行って書かれたものです。エスノグラフィーを作成する方法は、人類学において始められ、すぐに社会学においても主要なものとなったものですが、近年、経営学などでも労働組織を対象として用いられるようになってきています。丼家に関しては、そこで食事をしたことがある読者の方も多いでしょうから、想像しやすいのではないでしょうか。もしも、アルバイトをしたことがあれば、さらに共感しやすいかもしれません。
私たちは、早朝から深夜まで、全国各地のどこでも、牛丼家に行けば、それほど待たずに同品質の安価な牛丼が食べられることを、期待しています。著者は、こうした効率化、合理化されたシステムを特徴づけるために、G・リッツアによる「マクドナルド化」という言葉を用いています。「マクドナルド化」は、一般的な説明としては、効率化・合理化されたサービスのメリットを認めつつも、従業員が作業ラインの一部として脱人間的な環境へと追いやられていくことに対する批判的な含意も込めて用いられます。
少し補足しておきますと、リッツアは、「マクドナルド化」を、M・ウェーバーの「官僚制論」の延長上に位置づけています。しばしば「機械」の比喩を用いた説明がなされますが、近代における組織は、合理化によって「機械」のように計算できるものになっていく一方で、一人ひとりに対しては、その歯車や部品のように働くことが求められるようになっていく、といった考え方を発展させたわけです(Ritzer 1993=1999)。
折しも2014年には、丼家最大手の企業において、アルバイト従業員の大量離職と人員不足による店舗の一時休業のニュースが伝えられました。マクドナルド化のような一般的な説明がどれくらい丼家の労働現場の実態をとらえているのでしょうか。この著作のフィールドワークでは、フィールドノーツやインタビュー・データを用いながら、それが明らかにされています。
店舗マネジャーの仕事
とくに焦点が当てられているのは、丼家をマネジメントする店舗マネジャーです。サッカーの比喩を用いて、「自身もピッチに立ち、実際にチームメイトに指示をだす司令塔のような存在」として位置づけられています。店舗マネジャーは、採用から離職、店舗環境の管理と過剰労働まで、さまざまな問題に日々直面しますが、それにどのように対応しているのでしょうか。
まず、アルバイトの採用は、店舗組織づくりにとって最も重要です。店舗へのアルバイト希望が入ると、店舗マネジャーが面接の日取りの電話を入れるのですが、多くの面接が入ることはマネジメント業務を圧迫していくことになります。マネジャーの都合に合わせていると、面接の機会がつくれないことにもなりかねないので、アルバイト店員でも面接を担当しています。
採用のときには、「丼家はライン業務ではない」ことが強調されています。8時から17時まで週5勤務を希望する主婦は、工場のラインに入る単純作業を想定しているので、採用後研修で必要なスキルを伝えられると、こんなに覚えられないと辞退していくことがあるようです。実際、店舗店員のほとんどがアルバイトで、正規社員が店舗に不在であることも少なくないので、アルバイトでありながらも店舗の経営理念や規則を体得していくことが求められます。けれども、駆け出しのアルバイトの多くは、それを望んではいないので、目標を持たせてスキルを習得させていくのですが、この「ハードルを越えられない」店員は、離職してしまうことになります。新入社員にスキルを伝達し、戦力に育てていくのも店舗マネジャーの仕事ですが、しばしば忙しく、欠員を埋めるためにシフトに入っていたりすると、店員のスキルが上達せず、モチベーションが下がっていく、といったことも起こります。
シフトを組むにも、店員の特性を考えてフロア・コントロールをイメージして行わなければなりません。「相手の立場にたって、相手の感情をつかまえていかないと、シフトは埋まっていかない」というわけです。店舗マネジャーは、他の店員との信頼関係を構築しなければなりませんが、年配店員への配慮が欠けたり、店員の能力差に応じて対応を変えたりすると、信頼を得ることはできません。「依怙贔屓をしてはいけない」「平等に」ということが強調されています。
また、威圧的な態度でマネジメントをしていると、店員は一人また一人と店舗を去って行き、シフトに穴があき、マネジャー自身がそれを埋め、負担が増え、店員への不信が増し、といった悪循環につながっていきます。店員同士の人間関係から醸成される店舗の「空気」が悪いと、これも離職につながっていくわけです。シフトに入る店員がいないと、経験の浅い若いマネジャーは、自らが「最後の砦」となって、シフトに入り営業を続けていこうとします。ただ。それでは過剰労働に陥ってしまうので、問題の解決になりません。店舗マネジャーは、シフト要員ではなくて、店舗のマネジメントが重要な職務であるのですが、「自己管理のマネジメント」が、そもそも簡単ではないのです。
店員の連携を図るフロア・コントロールは、最短時間での商品提供によって顧客の回転数を上げ、売り上げをあげるために不可欠です。フロアの動きは、パスを回すサッカーの動きに似ています。マネジャーの声かけは、商品を提供するワークを競技へと意味づけしていきます。ある店舗マネジャーは、「他のお客さんの注文をすべて把握したうえで、最短でメニュー提供できるように調理していく」と述べ、顧客の注文を正確に把握しながら、店員に指示を出していく指令塔の役割を担っています。シフトの編成は、当日の店舗のチーム編成と同じなのです。
労働者の「自律性」
この著作では、労働現場での実態は、「マクドナルド化」が象徴しているような脱人間化された労働とは、異なるものとして描かれています。むしろ、脱人間的な労働を強いられる店舗は、離職率が高く、店舗の経営が悪化していくのに対し、効率化された作業工程のなかでも、店員同士でコミュニケーションをかわす店舗では、従業員はやめていくことなく、現場を円滑にまわしていくことができる。ということなのです。脱人間化された労働にならないようにすることは、店舗マネジャーにとっても解くべき問題なのだといえるでしょう。こうした組織のエスノグラフィーもまた、具体的な職場の環境のなかで、他の人とのやりとりのもとで成り立っている「働くこと」の理解に、貢献するものです。
そして、先にみた自動車工場の参与観察研究が、工場のラインにおける労働を扱っているのに対し、こちらは、飲食店でのフロア・マネジメントを描いている、という違いがあるものの、どちらも効率化されていく労働過程において、どのように自律性や主体性、やりがいを調達していくか、という問題を浮き彫りにしています。
- 前田泰樹,2017,「『社会』のなかで働くこと」筒井淳也・前田泰樹『社会学入門——社会とのかかわり方』有斐閣,92-107.pp.97-100