ギリガン『もうひとつの声』におけるケアの倫理(品川 2020)

 自分に必要なことを自分自身で十分にまかなうことができるという意味の自律は、いつの時代にも評価されてきたが、近代は万人の平等を認めるのと表裏一体に、万人に自律した個人たることを要請する。だが、ひとは幼時にあって、また病気のさいに、さらにまた高齢において他人の気づかいと援助を必要とする。いや、自分ひとりでやっていけると思いがちな健常な壮年にあっても実のところはそうなのではないか。この認識に立ってケア(気づかい、世話)という規範を基礎において組み立てられた倫理理論がケアの倫理である。

 この理論は発達心理学内部の論争から生まれてきた。成長とは、だんだんと他人への依存や同調から脱していき、しかも相手の立場に身をおいて考える能力をしだいに身近な他人から見知らぬ他人へ拡大し適用することができるようになり、ついには、いつでもどこでも誰にもあてはまる思考法を獲得する過程である——ローレンス・コールバーグ(1927-1987)の道徳性発達理論はこのように成長を捉えた。その到達点に行為の是非を判定する普遍妥当的な原理原則が示唆されることから明らかなように、この理論は近代の正統的な倫理理論としっくり合う。

 これにたいして女性の――とことわるのは女性に多くみられる視点を発見したのが女性の研究者だったことに注意してもらいたいからだが——心理学者キャロル・ギリガン(1936-)は男女両性を対象とする調査をとおして、女性は普遍的に妥当する原理や原則に照らしてではなく、状況に巻き込まれているひとりひとりの事情を気づかい、できるかぎり誰もが傷ついたり排除されたりしないような行為を是とし、この思考法の方向に成熟すると指摘し、コールバーグの発達モデルを正義の倫理、自説の発達モデルをケアの倫理と呼んで対置した。この成長過程の到達点には、自分を含めてすべてのひとがケアされる必要のある傷つきやすい存在だという認識がある。

 ギリガンの主張は、これまで頤みられることのなかった女性たちの見解という意味をこめて『もうひとつの声』と題する著書にまとめられた。その後の論争のなかで二つの発達モデルは性差よりもむしろ文化的な違いを反映しているのではないかという解釈が有力になるが、いずれにしても、ケアの倫理の問題提起は重要である。普遍妥当的な思考のみならず、状況の個別性や個々人の事情を配慮する能力にも倫理的な成熟を認めるべきではないか。近代以降の有力な倫理理論が前者に傾いているのは、近代以降の社会が後者の視点を軽視していることの反映ではないか。それゆえ、ケアの倫理は既存の倫理理論が用いる規範にはない概念を用いた語り口で望ましい人間関係を描き出す。すなわち、ケアする者は他者に寄り添い、耳を傾け、他者の必要としているもの(ニーズ)を細やかに感じとり、その訴えを受け止め、自分にできるかぎりそれに応答するというふうに倫理的なあるべきあり方を語るのである。


品川哲彦,2020,『倫理学入門——アリストテレスから生殖技術、AIまで』中央公論新社.pp.119-21