1 関心を向けること Caring about
なによりケアは、ニーズを満たそうとすることから始まります。明白に思われるニーズもありますが、実際には、あるニーズをしっかりと見極めることは、複雑な仕事です。どんな単純な事例にみえようとも、こうした複雑さがつきまといます。たとえば、赤ちゃんが泣いています。彼女には、哺乳瓶が必要なのでしょうか。あるいは、抱っこしてほしいだけなのでしょうか。ほとんどの事例は、もっと複雑です。「線路の向こう側に住む」人びとは貧しい。なぜでしょうか。こうした疑問は、「ニーズ解釈の政治」をめぐるより複雑な思考を必要とします。第一に、ケアには、関心を向けることが必要です。すなわち、ケアのニーズを見極めることです。
2 配慮すること Caring for
あるニーズが存在しているとはいえ、そのことは、特定の誰かが、そのニーズに応えなければならないことを意味していません。街で、ホームレスのひとを見かけることがあっても、あたかもホームレスが存在しないかのように、あるいは「誰かが、この問題についてはなにかしなければ」と思いながら、通り過ぎてしまうことがあります。責任を引き受け、なにかがなされなければならないと認識することは、ケアの第二の局面です。
3 ケアを提供すること Caregiving
ニーズが特定され、誰がそれに応える責任を引き受けると、次にそのニーズを満たす仕事が必要となります。ケアの第三局面とは、ケアを提供する実際の任務です。疫学者は、いかにウィルスが拡散するかを研究しなければならない。洪水は堰き止められなければならず、誰かが新しい学生に英語を教えなければならない、といったことなどです。ほとんどのケア提供には良いケア実践をめぐる問いが突きつけられます。食事券は人びとにチーズを配るよりも効果的だろうか。厳格な教員であることは学生たちの学びの助けになるか、それとも、学生を追い詰めすぎるだろうか。水道の蛇口の漏れは直すべきか。この局面では、また別の複雑さが加わります。というのも、ニーズを認識するひとは、そのニーズに対応する責任を引き受けるひとと必ずしも同じではないし、さらこそうした責任を取るひとは、実際のケアを提供するひとと同じではないからです。たとえば、ある息子が別の市に住むかれの両親のために医者が訪問する手はずを整える責任を負っているとしましょう。かれは父親を担当するソーシャル・ワーカーに電話をかけるでしょう。しかし、責任あるそれぞれのひとが、ケアに対するあまりに狭い見識に基づいて資源配分をするようなら、かれらは、ほとんどなにも配分できなくなるでしょう。頻繁に起こる問題として、病院が十分な医療を提供できないことは、よくあることです。たとえば、「医療機関から患者が離れている場合に必要となる、インターネットなどの通信を用いた遠隔医療に必要な設備などがそうです。したがって、ケア提供者は、理想的とはいえない環境で、ケア活動をなんとかこなしていくことを学ぶことになります。
4 ケアを受け取ること Care-receving
ケア活動という働きが為されたあとも、もうひとつの局面が残されています。いかにわたしたちは、ケアが成功したと知るのでしょうか。ケアを受け取ることは、ひとつの応答を促します。たとえば、ケアがいたるところにあるとすれば、そのいくつかは、繰り返し行なわれる活動です。タ食の後の皿洗い、冬の間に劣化した道路を、春になると整備することなどがそうです。しかし、たとえケアを受け取るひとが「ありがとう、助かりました」といわなくても――赤ちゃんや、こん睡状態にある患者は必ずしもそうした反応ができるわけではありません――、ケアは、その必要が満たされるまでは、完成しません。ニーズが満たされたかどうかを知るには、ケアの状況やそこに配分された資源を再度検討し、ケアを改善していくことが必要です。そして、しばしば、そうした再検討は新しいニーズを認識することにつながり、また、第一局面からのプロセスが繰り返されるでしょう。しかもそこに終わりはありません。わたしたちが死ぬまでニーズが途絶えることはありません。ケアはつねにそこにあり、めったに可視化されることがなくとも、つねにわたしたちに何かを要求しているのです。
Tronto, Joan Claire, 2015, Who cares? : how to reshape a democratic politics, Ithaca: Cornell Selects. (岡野八代訳,2020,『ケアするのは誰か?――新しい民主主義のかたちへ』白澤社.pp.27-9