投稿者・告発者・叱責者
ここでまず考えてみよう。一般にバイトテロ騒動が起きるのは、「テロ」という語に示されているように、投稿者が「悪いこと」をするからだと考えられている。しかし実際にはそれだけで炎上に至るわけではない。ちょっとしたいたずらが大々的に燃え広がるためには、多くの場合、火種を点す人だけではなく、それを大きく燃え上がらせようとする人々や、広く延焼させていく人々など、さまざまなアクターの関与が必要となる。そこでまず第1のアクターとして挙げられるのは、もちろん「投稿者」という存在だろうが、続いて第2のアクターとして考えられるのは、「告発者」という存在だろう。火種になりそうなネタをどこからか探し出してきては、広く拡散し、大きく燃え上がらせようとする人々だ。しかも彼らは、投稿者やその関係者の過去の投稿を執拗に掘り返し、さまざまな個人情報を特定していく。
2022年の夏の騒動を受けてあるIT企業が行った調査によれば、匿名掲示板のちゃんねる(現在は5ちゃんねる)のユーザー、いわゆる「2ちゃんねら1」のグループが水面下で情報交換を繰り返しながら、そうした作業に当たっていたという。彼らは元来、2000年代初頭から「ドキュン狩り」などと称し、不適切な言動をブログなどに軽率にアップしている者をあちこちから探し出してきては、その個人情報を晒し上げるという「祭り」を繰り返してきた。その後、SNSの普及とともにその「漁場」はミクシイからツイッターへと移り変わっていく。その過程で彼らは「特定班」などと称するようになり、その情報交換の場をやはりSNSに移し替えていった。とはいえ2010年ごろまでは、彼らの祭りは仲間うちだけのものであり、大きな社会問題となるような広がりを持つことはなかった。しかしツイッターの普及とともに状況が変化していく。より多くの人々、しかも一般のSNSユーザーが、自らはそうと意識しているわけではもちろんないが、彼らの祭りの一翼を担うようになる。その結果、祭りが広域化し、炎上という現象に発展していくことになる。そこに挙げられるのが第3のアクター、「叱責者」という存在だろう。つまり告発者から提供された情報に短絡的に反応し、「けしからん!」などと怒り出してしまう人々だ。彼らは単なる野次馬でしかなく、無責任な第三者にすぎないが、強い正義感から激しい義憤に駆られ、投稿者に積極的に制裁を加えようとする。そうした行動が店への苦情となり、学校へのクレームとなり、火種を広く延焼させていくことになる。炎上という現象の実質的な担い手となっている人々だと言えるだろう。
このように投稿者、告発者、叱責者という3種のアクターが揃って初めて、その「連係プレー」を通じてバイトテロ騒動が成立することになる。そこでは通常、投稿者は1人、告発者は複数人、叱責者は多くの人々から構成されている。こうした構造を構築主義的な観点に照らしてみると、投稿者が「逸脱者」に、告発者が「クレーム申し立て者」に、叱責者が「統制者」に当たると考えることができるだろう。これら三者の間の相互行為を通じてバイトテロ騒動が「構築」されていくわけだ。
規範形成の儀式
ここであらためて考えてみよう。そのとき投稿者は「悪いこと」をしているが、それを明らかに「悪いこと」だと思ってしているわけではなく、そのため注意するよう呼びかけられているにもかかわらず、ついしてしまう。それに対して告発者は、それが明らかに「悪いこと」だとしてクレームを申し立てる。するとそれを受けて叱責者は、寄ってたかって投稿者に逸脱者のラベルを貼ることで、それがいかに「悪いこと」かを激しく言い立て合っていく。その過程でそれはどんどん「悪いこと」になっていき、ついには「テロ」、つまりとんでもなく「悪いこと」だと見なされるようになる。その結果、投稿者には厳罰が科されることになる。そこで叱責者がそうするのは、投稿者の行為を「悪いこと」だと定めることで、「そういうことはしてはいけない」という規範を定めるためだろう。つまり彼らは社会の統制者として、規範形成という「良いこと」をしていることになる。しかしそうした行為がどんどんエスカレートし、過剰なまでのバッシングとなってしまう。言いかえれば彼らは「良いこと」をしすぎてしまう。そのため炎上が起きることになる。
こうしたことからすると、バイトテロ騒動が起きるのは、投稿者が「悪いこと」をついしてしまうから、であると同時に、叱責者が「良いこと」をしすぎてしまうから、だということになるだろう。
とくに構築主義的な観点からすれば、重要なのはむしろ後者の側面のほうなのではないだろうか。つまり統制者による規範形成のための行為が過熱してしまう結果、それが炎上として表現されることになるわけだ。
当時、SNSの普及とともに新たな社会空間が形作られていく過程で、そこでは何が許され、何が許されないのかという、新たな規範が手探りで模索されていたところだった。そうしたなかに投じられた投稿者の行為をきっかけに、当時のSNSユーザーの間には、デュルケムの言葉を借りれば「集合的沸騰」が巻き起こる。社会集団が儀式の場で周期的に興奮状態を作り出しながら、「聖なるもの」と「俗なるもの」との区分を作り出すことで、社会規範を作り出していくという行動様式を指すものだ。当時のSNSユーザーはそうした興奮状態の中で、投稿者の行為を「悪いこと」として、それも絶対的に「悪いこと」として区分していった。その結果として下された裁定と、そこから投稿者に与えられた制裁を通じて、「SNS空間の中ではこういうことはしてはいけない」という新たな規範が、いわば「SNSの倫理」として形作られていったのではないだろうか。だとすればバイトテロ騒動とは、SNSの時代の幕開けに伴う規範形成の動きの現れ、そのための儀式だったと見ることができるだろう。