小金井ごみ焼却場問題(羅 2021)

 小金井市は、面積11平方キロメートルあまりで、東京都のほぼ中央、東京駅から西へ約25キロメートルの距離に位置している。人口は2021年3月1日現在12万3681人、6万1837世帯である。小金井市は1950年代から調布市、府中市と一部事業組合である二枚橋衛生組合を結成し、ごみの共同処理をしていた。二枚橋衛生組合ごみ焼却場は、調布市、府中市、小金井市の3市が共同運営した、可燃ごみを焼却する中間処理施設である。高度成長期を通じて3市の人口が急増し、ライフスタイルの変化に相まって、二枚橋衛生組合ごみ焼却場に搬入するごみはその処理能力を上回る事態が発生した。また、1957年および1972年に稼働し始めた焼却場の老朽化で、その焼却場の建て替えが日程にあげられるようになった。

 1984年に小金井市は二枚橋処理場の建て替え計画を提案したが、調布市と府中市からの支持が得られなかった。その後、小金井市は都立野川公園などいくつかの候補地を考えていたが、いずれも周辺住民等の反対で実現できなかった。こうした小金井市の動きに業を煮やした府中市は1993年に多摩川衛生組合に加入し焼却施設を共同運営し、調布市は1999年に三鷹市と「新ごみ処理施設整備に関する覚書」を締結し、2013年4月からふじみ衛生組合を組んでごみの共同焼却を始めた。その結果、調布市と府中市にとって従来の二枚橋焼却場はもはや存在する必要がなくなったのである。

 2007年4月に二枚橋ごみ焼却場の廃止でごみの行き先を失った小金井市は新しいごみ処理場の用地を確保することを条件に、国分寺市との共同処理を始めた。しかし、都市公園や二枚橋処理場跡地および蛇の目ミシン工場の跡地など、いくつかの候補地を検討していたが、さまざまな理由でいずれも断念せざるを得なかった。そこで、小金井市は3分の1の約6000トンを国分寺市に、残りの3分の2は周辺自治体の「広域支援」に依頼し、処理してもらうようにした。

 周辺自治体の助けを受けて行ってきた小金井市のごみ処理は、2011年4月の市長選挙で政治問題化した。当選した佐藤和雄市長が、周辺自治体に支払ったごみ処理経費を「無駄使い」と発言したのである。その発言に対して周辺自治体が反発し、ごみ処理の受け入れを拒否した。小金井市はごみ収集を停止せざるを得なくなった。この混乱を受けて、11月に佐藤市長が辞職した。12月の市長選挙でふたたび復帰した稲葉孝彦市長は周辺自治体への協力を要請し、周辺自治体および衛生組合はそれに応じて小金井市のごみを処理し続けていた。小金井市のHPで公開されているデータ芯によると、2007年に武蔵野市、昭島市、日野市、東村山市、国分寺市、柳泉園組合、西多摩衛生組合、小平・村山・大和衛生組合との間に2万933トンの可燃ごみの受け入れ支援を得て、1万6538トンの搬入を行った。2019年時点の支援先は多摩川衛生組合、国分寺市、ふじみ衛生組合で、8581トンの可燃ごみを搬入していた。

 2014年1月に、日野市、国分寺市、小金井市の3市は新可燃ごみ処理施設の整備および運営に関する覚書を締結し、日野市での共同処理を行うことで合意した。後述するように、2020年4月1日から、3市で結成した浅川清流環境組合のごみ焼却施設の正式な稼働で、小金井市のごみ焼却問題はようやく解消した。

 1980年代半ばからごみ処理に悩み続けてきた小金井市は2006年に「ごみ非常事態宣言」を発出せざるを得なかった。それを受けて、小金井市民はごみ削減意識を高め、廃棄物減量等推進審議会などを通じて、ごみ削減にさまざまな工夫がされるようになった。その結果、小金井市は全国人口10-50万人の自治体のなかで、1人あたりごみ排出量が最も少ない市となっている。


羅歓鎮,2021,「多摩地域の一般ごみ処理——その先進性と課題」尾崎寛直・李海訓編『〈郊外〉の再興——新・多摩学のすすめ——東京経済大学創立120周年記念事業』けやき出版,251-75.pp.256-7

参考資料

一般社団法人 小金井市観光まちおこし協会のブログ「まろん通信」「Vol.835 二枚橋焼却場と二枚橋プール」 https://koganei-kanko.jp/maron/archives/12581

鄭智允,2014,「「自区内処理の原則」と広域処理(中)――小金井市のごみ処理施設立地問題の現況から」『自治総研』40(428): 45-65.https://www.jstage.jst.go.jp/article/jichisoken/40/428/40_45/_pdf/-char/ja