次に「受益圏/受苦圏」概念とその論点について、「沖縄の基地問題」をめぐる沖縄社会と日本社会との関係において明確にしておきたい。
じつは、大規模開発問題と環境社会学において、基地問題そのものや「沖縄の基地問題」にアプローチした先行研究はそれほど多くはない。また、社会科学や人文科学等において「沖縄の基地問題」は積極的に取り上げられるが、それらは「被害論」のような被害構造研究を中心に、国家権力をめぐる抑圧構造や沖縄型自治モデルの提起などについて描かれる特徴がある。よって、「沖縄の基地問題」について、受益圏との関係、とくに「拡大化した受益圏」との権力関係からアプローチした研究はほとんど見られない。
しかし、日本の。0.6%の面積、1%の人口にすぎない沖縄県に、日本における米軍専用施設の約70%が集中しているという無視できない事実がある。しかも、それらの米軍基地・施設の多くは、日本「本土」における反基地闘争も一因となり、1950年代以降、沖縄に次々と移設され、現在に至っている。つまり、そこには明らかに、沖縄と日本との「加害−被害」の関係が客観的な事実として存在している。そして、その事実は、沖縄が米軍統治下におかれていたがゆえに、受益圏と受苦圏の分離状態が鮮明となり、「拡大化した受益圏/局地化された受苦圏」の様相を呈しているといえる
また、テクノクラートや「顕在的敵手」という視点で捉えると、「沖縄の基地問題」は、概ね〈日本政府対沖縄県民(あるいは地域住民)〉という「主体間紛争」が顕現化し、沖縄社会に隔離され、局地化されている。このような対立の図式がイデオロギー的な言説として機能するとき、受益圏の人々は、「沖縄の基地問題」を考えずに済むだけでなく、加害の責任など思いもつかない。「政府による沖縄いじめ」と認識するのか、逆に、沖縄の「地域エゴ」「一部の過激な反対派」として認識するのか、いずれにせよ受益圏においては、沖縄に米軍基地を集中させる推進主体としての意識は皆無となる。
この対立の図式は、受苦圏の内部すらも規定してしまう特徴を有している。とくに、政党政治と選挙、基地建設事業と基地関連の経済振興策などによって政治的・経済的な利益が生ずる擬似受益圏の人々は、基地問題を「政府対沖縄県政」という対立や法廷闘争に放置したり、「紛争の現場」(純受苦圏)に押し込めたりするような意識や態度を有しているかもしれない。
また、純受苦圈の人々にとっても、〈日本政府対沖縄県民(あるいは地域住民)〉という図式は、社会的分断をもたらす存在として深い徒労感を生じさせ、受益圏の存在を認識する以前に肉体的・精神的に消耗させる高い障壁となる。とくに、普天間基地の「県内移設」をめぐって名護市辺野古の「キャンプシュワブ」周辺で抗議活動に参加する者においては、テクノクラートの暴力装置と化した警官隊や海上保安官との衝突という肉体的な痛覚が、国家権力との対立そのものを物象化す狙。さらに、そのような「紛争の現場」には、日本「本土」、つまり受益圏から駆けつけた人々も参加している。その「現場」では、受益圏の存在を言語化したり、それを批判的に捉えたりすること自体がきわめて抑制される。そのような抑制をはらむところでは、社会運動そのものが受益圏の論理に領有され規定されるという政治が作動する(たとえば「二項対立はいけない」という定型化された論理に基づく「正義の実現」の先取り的な「連帯」など)。このように、受苦圏の内部社会では、テクノクラートの存在によって潜在化した、受益圏とのミクロな権力関係が形成・維持されている。
さらに、「受益圏/受苦圏」概念は、既存の経済的格差や政治的・社会的な不平等の構造との関係を分析する特徴を有している。先に述べたように、それは、政治的に発言力の弱い社会集団に対して受苦が集中しているという事実を明らかにする。沖縄に関していえば、「琉球処分」「沖縄戦」「米軍統治」などの政治的処遇や歴史的事実、あるいは個々が社会において受けてきた被差別体験など、歴史的文脈や社会関係場面において構造化された差別という事実を読み取る必要がある。沖縄は、日本という国民国家(受益圏)によって作り出された「周辺圏」であり、言葉が聞き取られることのない「分け前なき者」のような存在である。「沖縄の基地問題」は、そのような差別構造と交差するところにある。
以上のように「受益圏/受苦圏」概念は、受苦の存在やその根源を受益圏との関係において描き出し、その社会的な権力関係を浮き彫りにしていくという特徴を有している。つまり、同概念は、受益の状況と受苦の状況をパラレルに記述する説明の道具ではない。仮にそのような使用において分析してしまうと、そもそも受益の状況を社会学的に説明することとは何を指すのだろうか、という疑問が生じるだろう。あるいは、梶田が「受苦忘却」「受苦放置」と表現したように、たんにそれは受益圏の人々の「頹落」の様子を記述することになってしまう。そのような記述は、非常に曖味で、広範で、われわれの手に負えない状況説明でしかない。そうなってしまうと、結局のところ、手に取り、対象にしやすい受苦の記述(沖縄研究)で埋め尽くされてしまうことになるのではないだろうか。
「受益圏/受苦圏」は、経験的事実として「社会」を括り出す関係概念の一つである。またそれは、受益と受苦の不当で不平等な分配にかかわる社会集団を明らかにし、その権力関係を分析する概念である。では、関係概念という特徴において、その社会集団間の権力関係の様態を描き出すこととはどのようなものなのだろうか。ここで筆者は、脇田健一の「状況の定義のズレ」と、大門信也の「不正義の感覚」という両概念に着目しておきたい。
桃原一彦,2024,「ポジショナリティ分析で何が分かるのか——『沖縄の基地問題』をめぐる『受益圏/受苦圏』概念を手がかりとして」池田緑編『日本社会とポジショナリティ――沖縄と日本との関係、多文化社会化、ジェンダーの領域からみえるもの』明石書店,114-38.pp.122-5