関係概念としての「状況の定義」と「不正義の感覚」(桃原 2024)

 脇田健一によると、社会問題が不可視化されてしまう背後には、当該問題を構成する社会集団間の合理性のズレがあり、そこには問題の定義づけをめぐる対立関係があるという。つまり、ある問題の設定や認識、そしてコミュニケーション過程には、集合化・構造化された選択肢があり、何が強調され、選択され、排除されるのかによって社会的コンテクストが異なってくるというものである(脇田2001: 177-186)。

 この視点で沖縄の米軍基地問題を概観してみると、沖縄社会と日本社会との関係から「状況の定義のズレ」を取り出すことは可能である。筆者も参加する「ポジショナリティ研究会」が2019年に実施した定量調査においても、沖縄の米軍基地をめぐる問題を「沖縄差別」として捉える沖縄県内在住者と、「政治的対立」として捉える沖縄県外在住者との間の認識の違いが明らかになっている。このような「状況の定義のズレ」は、沖縄と日本という両社会集団がおかれてきた政治的位置性の違いに基づいて構造化されている。それは、発せられる声/発せられない声、聞き取られる声/聞き取られない声、そして共有される事実/共有されない事実というかたちで経験され、両集団間における認識やコミュニケーションの飢齬を規定している。この視点による分析は、基地問題の顕現化と潜在化をめぐる力動的な関係を明らかにする試みといえる(もちろん、この視点は、擬似受益圏と純受苦圏との間の「状況の定義のズレ」と、構造化されたコミュニケーション過程を明らかにするだろう)。では、「状況の定義のズレ」や構造化されたコミュニケーション過程の分析において権力関係を描きかすためには、どのような知見が必要なのだろうか。とくに、沖縄のように「周辺圏」として位置づけられる存在は、受益圈の人々によって「差別」という言葉そのものが拒絶され、対立軸そのものが無効化される傾向がある(また受苦圏内の社会において擬似受益圏の人々も「差別」という言葉を抑制するかもしれない)。このような無効化や抑制という隠蔽の政治がはたらく場面も含め、コミュニケーション過程において権力構造を描き出す方法にはいかなるものがあるのだろうか。大門信也は、社会的不正義を問題化するコミュニケーション過程について、「責任実践」という観点からアプローチする。大門が述べるところの「責任実践」は、瀧川裕英の「関係的責任観」に依拠しており、「社会」を括り出す関係概念のような位置づけをしている点に特徴がある(大門2012:186.187)。厳密にいえば、それは、被害者からの問責とそれに対する理由応答という「問責−答責関係」(応答責任)なのだが、重要な点は、ある主体間の権力関係が隠蔽されようとする際の政治性を、関係的な実践において露見させるというところにある。そこで大門が援用するのが、ジュディス・シュクラーの「不正義の感覚」である。「正義の実現」の先取り的な発想や主張は、達観した超越的な構えや判断によって被害者の声を抑圧し、その権力関係を隠蔽してしまう側面を有する。一方、(被害の立証や告発ではなく)加害の責任を問う被害者の声という意味での「不正義の感覚」は、「問責−答責関係」という加害者との緊張状態を維持し、コミュニケーション過程における権力関係やその抑圧、そして隠蔽の政治性を露見させるというものである。

 この実践的な関係概念(関係的責任観)は、受益圏と受苦圏との権力関係の分析においても有用である。たとえば、差別問題の解決を土台として、沖縄人(受苦圏)から日本人(受益圈)に対して加害の責任を問い続ける、米軍基地の「県外移設論」は、「沖縄の基地問題」をめぐる顕現化と潜在化の力動(隠蔽の政治)を露見させる。とくに、テクノクラートへの抵抗というリベラルな立場からの「正義の実現」の先取り的な発想や「連帯」に対し、「県外移設論」は、日本人による「主体内葛藤」「主体間葛藤」という緊張状態の引き取りを迫る。なぜなら、「沖縄の基地問題」には、日本国民の80%超が「日米安保体制」「日米同盟」の強化または堅持を望んでいるという社会的事実が横たわっており、大規模な受益圈としての「本土」日本人という根源的な問題が立ちはだかるからである。この根源的な問題を放置したまま、受益圏の人々が受苦圏の社会に対して先取り的に「正義」や「連帯」を求めてしまう行為は、結局のところ沖縄社会(および受苦の「現場」)を消費し続けることになり、「沖縄の基地問題」は閉塞し、局地化を余儀なくされる。それに対し、「県外移設論」のような「問責−答責関係」は、「本土」日本人という受益圏との緊張状態を維持しながら、その権力関係や隠蔽の政治を露見させようと試みる。

 なるほど、「問責−答責関係」は、受苦圏内の疑似受益圏と純受苦圏との関係も露見させるだろう。しかし、そもそも沖縄は歴史的・政治的に「周辺圏」に位置づけられ、日本の安全保障と日米同盟の最前線というかたちで、すでに、つねに緊張や葛藤を強いられている。とくに、米軍基地がもたらす騒音や汚染、事件・事故等は広範囲に被害を及ぼしており、基地所在地域に在住しているか否かにかかわらず、沖縄の人々には「問責−答責」という主体内および主体間の葛藤がつねにつきまとう。それは、国政選挙や地方選挙のたびに、ときに分断をともなって先鋭化し、沖縄の社会関係を摩耗させる。よって、沖縄の人々がそれを回避するために、米軍や米兵が視界に入らない内閉的な消費空間(ショッピングモールなど)に逃げ込みたくなる心情も理解できる。つまり、受苦圏においても、受苦忘却、受苦放置は起こりうるのであり、その結果として、純受苦圏が置き去りにされる面を有している。しかし、米軍人・軍属もショッピングモールを利用し、ときには迷彩服姿でそこを闊歩する。受苦圏は、どこにいようが当該問題とそれにともなうジレンマから逃げられない。重要な点は、この受苦圏内に隔離され、局地化されている「問責−答責」の緊張状態を、受益圏に押し広げるという試みである。もちろん、それは「正義の実現」への先回りではなく、「不正義の感覚」に基づかなければならない。よって、沖縄から発せられる「県外移設論」に対して、日本「本土」で「基地引き取り論」という応答と議論が登場したことは注目に値する。もちろん、受益圏(および疑似受益圏)において「問責−答責関係」という緊張状態を維持することは容易ではない。そんなことが常時続いてしまえば、個人の心身は正常に保たれないだろうし、やはり「頹落」(受苦忘却、受苦放置)という方向へ逃避したくなるだろう。それは、またしても受益圏と受苦圏との権力関係の隠蔽という政治へと揺り戻そうとするかもしれない。しかし、この論点において、受益圏の人々の「頹落」を否定する必要はない。むしろ、受益圏であろうと、受苦圏であろうと、われわれは「頹落」という日常を生きていかなければならない。そもそも、日常に埋没するという意味での「頹落」がなければ、われわれが放り込まれている世界やそれがもたらす不安や緊張との差異を理解することすらできない。もちろん、それは受益圏と受苦圏との差異やその関係を理解することにたどり着くこともない。よって、梶田が述べていた「受苦覚醒」とは、たんに受苦に気づくことではない。また、「受苦回収」も、たんに受苦圏の人々の期待に応えるという配慮やケアではない。それらは、受益圏と受苦圏との権力関係を露見させるプロセスを経てあらわれてくるものである。そのためには、日常に埋没しようとするわれわれの処世術と「問責−答責関係」という緊張状態との往還的で再帰的な運動が必要なのである。

 以上のような脇田と大門の諸概念は、「解決過程論」、つまり社会的合意形成や公共圏形成のための規範理論の探求といえるだろう。しかし、そこで用いられる諸概念や論点は、当該問題をめぐる社会集団間の認識のズレとその権力関係の隐蔽の政治を露見させる特徴がある。そのような意味において、「受益圏/受苦圏」概念の諸論点を補強するものとして位置づけることができる。


桃原一彦,2024,「ポジショナリティ分析で何が分かるのか——『沖縄の基地問題』をめぐる『受益圏/受苦圏』概念を手がかりとして」池田緑編『日本社会とポジショナリティ――沖縄と日本との関係、多文化社会化、ジェンダーの領域からみえるもの』明石書店,114-38.pp.126-9