「ブルボンヌさん、どうして女装するのですか?」ブルボンヌ・家弓隆史・林香里・小島慶子による対談より抜粋
2018年12月2日【第4回メディアと表現について考えるシンポジウム】が開催された。サブタイトルは、「それ『実態』とあってます?メディアの中のLGBT」。2018年は男性の同性愛を描いたドラマ「おっさんずラブ」がヒットする一方で、性的少数者に対するヘイト的な特集を組んだ月刊誌『新潮45』の事実上の廃刊が決定するなど、LGBTに関する表現や言論のあり方が話題となった。いまだ誤解を招くようなメディアでのLGBTに関する情報や表現を当事者たちはどのように受け止めているのか。実態とのズレはどのようなものなのかが議論された。そのシンポジウムを受けて、ここでは林香里と小島慶子が、あらためて女装パフォーマー、ブルボンヌさんとブルボンヌさんの事務所の社長家弓隆史さんに話を聞いた。
男になる、女になるとは
林:私、ブルボンヌさんにずっとあやまらなくちゃいけないと思っていました。シンポジウム準備打ち合わせの際、助教が「ブルボンヌさんは当日朝に着替える部屋が必要だそうです」と、言うので、「大学なんだからそんな部屋ないと答えておいて」と返したんです。それでも「やっぱり必要みたいです」と言ってくるので、「もー、しようがないわねえ」と当日朝1人でしぶしぶ普通の教室に衝立を立てて準備しながら「どうしてこんなにメンドくさい人なんだろう」と不満に思っていたんです。到着されたブルボンヌさんは「今は普通のおじさんだけど、これから変身するから」と言って準備に入られた。そして2時間後、びっくりするくらいキレイになって出ていらした。スゴイと感激すると同時に、ショックでもあったの。変身した姿の美しさはもちろん、そうやって2時間もかけて男性から女性になるというエネルギー、パワーに圧倒されたんです。男性から女性になるのには、それだけの時間がかかるんだ。とも思いました。
ブルボンヌ(以下ブル):人によりますが、私たちの文化がごっそり着替える系なので。しかも、女性に溶け込み目立たないことを望む方が多いトランスジェンダーに比べて、ドラァグクイーンはその先の、さらにデフォルメした、一般の女性がしない過剰なメイクや衣装を到達点にしている。飛び越えるぶん、余計に時間がかかる感じですかね。
林:そういうふうに男性からデフォルメした女性になるのに2時間も3時間もかかるなんてすごいなと思う反面、私は2004年に東京大学の教員に着任してから15年もかけて、中身を男に取り換えた(笑)。あの職場でいかに女を隠して男になるかだけを考えてきたような気がする。2時間で女になる、15年かけて男になる。この男になる、女になるってどういうことなんだろう、とあの後すごく考えました。これまでジェンダーやクィアの本をたくさん読んできたはずなのに、全然わかっていなかった。大袈裟でなく、人生観が変わるほどの衝撃でした。
ブル:世の中の既得権益が男性ベースで作られているから、大企業であれ政界であれアカデミアであれ、そこに入る女性はそうしないと闘えないんだという思いで、いつの間にかミイラ取りがミイラになっちゃう人って多いわよね。社長でもやっぱり男のふりをするんじゃなく、女性の魅力を世の中に発信していってほしいですよね。
林:私もそう思っていたんです。でも振り返ると、自分は2004年以降、女性であるということで肯定された経験はすごく少ないの。
ブル:テレビ局のプロデューサーの女性も職場でパンツスタイルじゃないと、「お前仕事なめてんのか」と先輩に怒られると言っていたもん。
林:だからジェンダーのシンポジウムでは「多様性が大切」とか言いながら、裏では自分のミッションを果たすための近道として、自ら、の女性性を殺して男性に同化しようとしてしまう。
ブル:みんなそうなのよ。#MeTooをテーマにしたEテレの番組に出たことがあったんだけど、プロデューサーのお姉さんが、このテーマで番組を作れてうれしいけど、調べれば調べるほど、セクハラまがいのことをされた新人に対して「我慢してうまく受け流して。じゃないと出世できないよ」的なフォローをしたことが思い出されて恥じている、と言ってました。男社会でのし上がった人の、あるあるなのかも。
小島:2018年の財務事務次官によるセクハラ事件のとき、メディアの女性はみんな同じ反省に立ったと思います。それからハラスメント関連の記事が一気に出るようになった背景には、数百人規模のメディアで働く女性たちが媒体や所属の違いを超えて連帯したということがあるんですね。「自分たちはメディア業界の男性中心の風土に染まって、“ケツ触らせて特ダネが取れるなら安いもの。減るもんじゃないし”などと割り切ったりもして、マッチョな文化を肯定、強化してきた。昨年テレビ朝日の若い女性記者が犠牲になった要因を、まさに自分たちが作っていたんだ」と、泣きながら反省した人もいたんです。彼女たちが「やっぱりこんな風土を変えよう」「ハラスメントはあってはならない。もうやめよう」「私たちメディアも報じなくては」と本気になったことが、セクハラだけではなく、その後に起きた日大の悪質タックル事件やスポーツ界のハラスメントなど、いろんなものが表面に出てくるきっかけになった。その意味で昨年は時代の分岐点だったと思いますが、テレビのバラエティ番組などでのジェンダー表現については周回遅れの感が否めないんですよね。少しずつ変化は出てきているけど、オネエキャラも相変わらずのステレオタイプだったりして。
ブル:でも語る場を失うと本当に何も届かなくなっちゃうから、「語る場を確保できる程度には気に入られたい問題」っていうのも、あるじゃないですか。
小島 テレビに出ること自体が語る場を得ることでもあると……確かにそうですね。
ブル:先達のみなさんも、今は過去を後悔したり反省しているかもしれないけど、その時期なくしては、今この場にさえいられなかったかもしれない。そう考えると、中間地点としでの当時はそれでよかったんじゃないかな。
「キューティーハニー」とオカンが私の土台――ブルボンヌの独白
林:ジェンダーって人間の体と心の問題が重なっている部分でもあるので、出世のためとか、有名になるための手段として使ってOKとはやっぱり割り切れない。だからそこを敢えてドラァグクイーンになるというのは、わかるようなわからないような感じがあるんです。いつも授業では1時間目に「生物学的なセクシュアリティと社会的なジェンダー」と教えているけれど。これはそう簡単に区別できることでもないなって。時間をかけてデフォルメされた女性性を表現するというのは、演技なんですか。何なんですか?
ブル:物心つくかつかない頃にはすでに世の中が思うところの女性ジェンダー側の要素――くねくねした動作や言葉の柔らかさ――があったみたいね。だからこそ異物を見つけるのが得意な直感の鋭い幼児や小学校低学年のコミュニティで私は、「おとこおんな」とか「おかま」というニックネームを授けられたんだろうし。子どもたちって誰に学ぶでもなく、本当にわかりやすく、世の中が思う男っぽさ/女っぽさの方向性がはっきりしているのよね。そのどっちに入るかによって、「あいつはちょっと違うぞ」というのを見つけ出す。それはFtM(性同一性障害で体は女性だけど性自認が男性の人)の子も同じで、いわゆる男勝りな女の子も、「変なやつ」っていう扱いを受けやすい。そういうことがあったから、自分はいわゆる男男した男ではないんだろうな、というのは薄々感じてました。その後経験した衝撃のビッグバンが、「キューティーハニー」なんです。女性主人公が男を倒すなんていうアニメがほとんどなかった時代に、覆面を被ったいやらしそうな男たちを強い女がお色気サービスたっぷりにいろんな技で倒していく。しかもその敵である覆面男たちの上司もみんな女なんですよ。悪の組織も女、守る側も女。ハニーはファッションモデルから、カメラマン、歌手などに変身してその場を切り拓いていく。そのスタイルの斬新さといったら! 組織の構図一つとっても、当時にしては考えられないほど女性上位の世界を作ってくれていた。その世界観にもうむちゃくちゃシビれてました。もう1つのビッグバンは、うちの母なんです。母は11pmガールズだったんですよ。
小島 そうだったんですか!
ブル:出演していたのは私がお腹にいた頃までだったらしいんだけど、伝説の深夜番組だけあって、私が小さい頃もまだ放送が続いていたので、「へえ、こんなセクシー番組にオカン、出ていたんだ」ぐらいは思ってました。今でこそ女子の強気なビジュアルもオーケーだけど、当時はそういう枠がほとんどなかったから、まわりからは嫌なことも言われていたと思うのね。でも楽しそうに「こういうことしてたのよ」って教えてくれました。母はテレビ出演をやめたあとは、地元・岐阜の柳ヶ瀬の歓楽街でバーのママをやって、ほぼ女手一つで私を育ててくれた。おかげで私は世の中の男女観とは違うものに反応できるようになった。その点では恵まれていたと思うんですよね。当時はまだバブリーな時代で、母はお水のママだったから、おじさんからプレゼントをもらったりする。夕食時に「こないだ○○さんに宝石をプレゼントしてくれるって言われたけどママ断ったわ」という話が出たり。「えっ、もらえるのになんでお母さんはもらわないの」と言うと、「女は返さなきゃいけないものがあるのよ」と(笑)。いい感じの大人理論をたまに語ってくれて(笑)、おもしろかったですね。母は他のお母さんたちよりはちょっときれいだったから、授業参観に来ると、担任が男性だと「お前のお母さんキレイだな」とか言われるうちに、自慢のオカンになっていったんです。割と自慢のオカンだったんです。でも、今でいうママ友関係は皆無。他のお母さんは授業参観が終わったらみんなでグループ作って話し合っているのに。心配になって聞いたら、スパッと「私、群れるの嫌いなのよ」って。なんかいろいろな面で世の中の普通のお母さん像とは違ったのよね。私が常識を疑うようになったのは、そういうところに原点がありそう。(中略)
ややこしさに意味を見出す
林:女装しているときって、ステレオタイプ化された陳腐な女性像に挑むというか。そうじゃない表現を社会にぶち込んでやろうみたいな意識があるということですか?
ブル:自分の個性を出していい仕事のときは、なるべくそうしています。ストレートの方には女装をしてるとトランスジェンダーなんだと思われがちだけど、そうじゃなくて女装パフォーマンスをする男性同性愛者だというややこしさがある。でもジェンダーって曖昧なんですよね。私自身も子どもの頃「おとこおんな」と言われたり、女装表現を楽しめる程度には女性性を持っているけれど、異性の性を生まれつきはっきりと自覚するトランスジェンダーの方ほどではない。女装は変身作業だと思っているから、トランスではなくシスジェンダー(生まれたときの性別に違和感のない人)なんだと思います。そのあたりの感覚をテレビを見ている方たちにわかってほしいんです。はるな愛ちゃんのような体も心も女性というトランスジェンダーもいれば、マツコ・デラックスさんやミッツ・マングローブさんのような人もいる。あの2人も折に触れて言ってくれてはいるけれど、素顔を見せないタイプなのでわかりづらい。私は納得のいく依頼であれば素顔を出すようにしています。そのほうが、「あれ?普段はこうなんだ」という違和感やややこしさを含め、みなさんに考えてもらうきっかけになるんじゃないかと思うようになったんですよね。先日NHKラジオの「夏休みラジオ保健室」という番組の司会をやらせていただきました。かなり画期的な企画だったのですが、番組に「ブルボンヌさんは本当は女性になりたい人じゃない。勘違いされて迷惑を被る人もいるのでやめさせてほしい」みたいなリプライが来たのね。言いたいことはわからなくもないけど、じゃあLGBTを「代表」する司会って誰?ってことなのよ。LGBTすべてを体現できる人なんていないわけ。LがやればGBTが取りこぼされるし、4人呼んだとしてもその4つ以外のセクシュアルマイノリティはどうなるのか、ということになる。「女性って」という枕詞で話す女性だって、本当は女性全体を代表ずることはできないはず。誰かに何かを託すとき、その人がすべてを持っているなんていうことはあり得ないでしょう。それでもそういう突っ込みが来るのは事実なので、可能な限り私自身の正体をわかってもらえるような要素を開示していきたいと思っているんです。納得いく理由なら素顔を見せるし、「あ、この胸の膨らみ?靴下が入ってるの!」とかギャグとして言いつつ、おっぱいのある女性になりたいわけではない、ということもやんわり伝える。そういうことをなるべくやろうとは思っていますね。メッセージはおもしろおかしさとセットで伝えないと、干されたり場を奪われる可能性があるので。
林:それ、疲れませんか?
ブル:疲れるといえば疲れますが、今のメディアの構造上、マイノリティが発信力を得るための宿命だと思っていますね。今ある程度地位を獲得した女性たちだって、これまでずっとそういうケアをしてきたでしょう。
林:セクシュアリティってそもそも男と女でスパッと2つに分かれるものでもないですしね。さらには心と体も違うし、性的指向も様々でグラデーションがある。そういうものすごいややこしさを、お1人で全方位に表現するっていうお仕事なんですね、ブルボンヌさんは……。
ブル:そのややこしさに意味を見出そうと思っていますね。たとえセクシュアルマイノリティの標準型みたいな人がいたとしても、結局彼らだって自分以外の属性についてはどうケアするか迷うわけでしょう。だからよく知らない人が私のことを「ゲイだかなんだかわからない紛らわしい人」って思うのはわかるけど、紛らわしさやややこしさを知ることが性を知ることなんだ、と最近つくづく思うんです。人って自分の認識の中に箱が用意されていない、どこに入れたらいいかわからないものを嫌がるんですよね。私自身、十数年前にXジェンダー(男性でも女性でもないと自認している人)の概念について初めて聞いたとき、正直「何それ?」って違和感を覚えたし。でも最近は、その箱を用意していない社会や私たちの心のほうが問題なんじゃないかって思うようになりました。
社長:箱に入っちゃうって窮屈じゃないの?
ブル:そうだよ。だけどみんな箱に入れて理解したがるのよ。
林:楽ですよ、既にあるルールに依存するのは。自分で責任を取らなくてもいいし。そういう人はたくさんいると思うんですよ。既存の「女性らしさ」「男性らしさ」という枠に頼っていれば、生きやすい。
社長:でもその範囲外に出たくなっちゃうこともあるじゃないですか。
林:自分をガチガチの型にはめて、自ら生きづらい人生歩んでいる人もいっぱいいる。東大男性教員とか(笑)。(中略)
ブル:社長はね、本人にもよく言うんだけど、今50代半ばの日本人男性としては衝撃的なくらいに、世の中が頼ってしまうものを必要としてこなかった人なんですよね。だって小学生の頃から少しもゲイを隠さずに生きてきたんですよ。
林:私と同じくらいの歳なの?
社長:そうですね。55歳です。
林:同級生!
ブル:小学生の頃から『薔薇族』とかゲイ雑誌を学校に持っていって友だちに見せるような無茶苦茶な若者だったんだよね。それだけ自分が好きなものにまっすぐでいられるって、ほんとあなたは突然変異!(笑)。大多数の人は社会や家族が言うことに縛られ続けて、自分の道が塞がれていく。今はやっとそれを少し楽にしてあげられるといいなという雰囲気になってきたところなんじゃない?
林香里編,2019,『足をどかしてくれませんか。』亜紀書房.(ブルボンヌ・家弓隆史・林香里・小島慶子「ブルボンヌさん、どうして女装するのですか?」pp.83-125)pp.85-95