新自由主義フェミニズムと『リーン・イン』(関口 2023: 157-60)

 「新自由主義」と「フェミニズム」という言葉の組み合わせは、意外に感じられるだろうか。前者が保守派の思想であるのに対して、後者はリベラル派の思想である——そのように理解している読者の方もおられるかもしれない。ところが、上野千鶴子やナンシー・フレイザーなど多くの論者が説明しているように、新自由主義はフェミニズムの理念を部分的に取り込みながら発展してきた。ここでは、アメリカ研究者であるキャサリン・ロッテンバーグのThe Rise of Neoliberal Feminismを参照しつつ、「新自由主義フェミニズム」という概念について理解を深めたい。

 一言でまとめてしまうと、新自由主義フェミニズムとは新自由主義の理念に迎合的なフェミニズムである。ロッテンバーグは、「仕事と家庭の幸せなバランス」を実現することこそが、このフェミニズムの最大の目標なのだと述べる。では、そのことがどのような意味で問題なのだろうか?

 この文脈でよく引き合いに出されるのは、フェイスブック(現メタ)のCOO(最高執行責任者)であったシエリル・サンドバーグのべストセラー、『リーン・イン 女性、仕事、リーダーへの意欲』(2013年)である。この本のなかで、サンドバーグは実体験を例に挙げながら、子育てをする女性がリーダーとなることの意義を説いている。

 「世界を動かしているのは、やはり男である」と述べるサンドバーグは、従来のフェミニズムと同じ認識を共有しているように見える。ところが、そのような問題に対して彼女が提示する処方箋は、「内なる障壁を打破」し、女性がリーダーになることである。ロッテンバーグが指摘しているように、『リーン・イン』が提案するのは社会ではなく個人を変革することなのだ。そして、その個人のモデルとなっているのは、サンドバーグのような1%のエリート女性である。ハーバード大学を首席で卒業、世界銀行・マッキンゼー・財務省・グーグルなどで要職を経験しフェイスブックのCOOy……。サンドバーグのキャリアは、ほとんど伝説的だ。転職するときに重視すべき要素は何なのか、「18カ月プラン」を立てることの意義、リスクをとることの重要性など、『リーン・イン』にはリーダーを目指す人々へのアドバイスがふんだんに詰め込まれている。サンドバーグにとって、「仕事と家庭を両立させること」は、そうした助言の一部でしかない。

 けれども、はたしてどれだけの女性がそういった助言を生かせるような環境にいるのだろうか?「女性が犯しがちな判断ミスの一つは、自分の給料では保育費をカバーするのがやっとだという理由で早々に辞めてしまうことである」とサンドバーグは述べている。確かに、それは将来的にキャリアアップが見込めるエリート女性にとっては「判断ミス」なのだろう。けれども、サンドバーグの提言は、低所得層の女性にとって現実味があるだろうか?問題は彼女たちが仕事を辞めてしまうことではなく、彼女たちの市場価値が不当なまでに低いことなのではないだろうか。

 もちろん、優秀な女性がリーダーとなることを私たちは歓迎するべきである。仕事と家庭のバランスに悩むことなく、彼女たちが活躍できるような環境を整えることは重要だ。ただし、それを実現することがフェミニズムの最も大きな目的なのかと問われれば、話は別である。上野千鶴子が述べているように、フェミニズムとは「弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」であって、一部のエリート女性を(名誉)男性という強者にするためのツールではないからだ。

 サンドバーグは「個人」を変革することの意義を説いているが、エリート女性は自分だけの力でワーク・ライフ・バランスを実現できるわけではない。彼女たちが家庭と仕事を両立できるのは、(部分的にではあれ)家事や育児を彼女たちの代わりに担ってくれるケア労働者がいるからである。

 アメリカにおいてこれらの女性(特にナニー)の大部分が移民労働者もしくは人種マイノリティであることは、すでに第5章で確認した。ロッテンバーグの言葉を借りれば、新自由主義フェミニズムは人種や階級の不平等を拡大しつつ、「賢く自己投資して資本の価値を増大させる意欲的な少数の主体と、消耗品として搾取される多数の女性」を同時に生み出すのである。


関口洋平,2023,『「イクメン」を疑え!』集英社.pp.157-60