ジェンダー論を学ぶ意義(池田 2024)

 そのように、ジェンダーの権力作用に焦点化して議論する意義はどこにあるだろうか。ジェンダー論の登場に先立ち、フェミニズム・女性学など数々の議論が蓄積されていた。それらは女性の権利拡大、女性解放を目指す地道な取り組みの過程で編み出されたものである。ジェンダー論の多くはこの系譜の延長上に位置していて、女性の権利拡大や解放の論理でもある。つまり、ジェンダー論は第一義的には、女性のための思想である。これは、本書を手に取った女性のみなさんに、最も重要なこととして理解してほしい点である。

 では男性に無関係なものかといえばそんなことはない。男性もまた性別による役割にとらわれていて、ジェンダー論にふれることでそこから解放される可能性がある。そしてそれ以上に重要なのは、男性が女性に対しておこなっている支配——その多くは男女双方に支配とは認識されていないー—を男性自身が知ることである。ジェンダー論の最も重要な意義は女性の解放だが、ジェンダー論の最も重要な当事者は男性である。男性こそが、解放の必要が論じられるような抑圧を実践している張本人だからである。ジェンダー論とは、男性が女性に対しておこなっている差別や抑圧の論理とその実態を、さまざまな手法で明らかにするものでもある。

 男性たちが、自分たちが何をおこない、何をおこなっていないかをジェンダー論を通じて知ることができる。事実を知れば、その状態を放置するのか、改善するのか、あるいは差別や支配を利用してさらに利益を得ようとするのかと、自分自身の態度について悩むこともあるだろう。ジェンダー論自体は、何らかの政治的な言説でもイデオロギーでもない。ジェンダー論は領域横断的な科学であり、ジェンダー論が明らかにするもの、社会に存在している事実だけである。しかしジェンダー論が示す事実が人々に突き付けるのは、そのような事実を前に、個々人がどのような態度をとるのかという問題である。このことは男性だけではなく、女性にとっても同様である。自らに向けられた抑圧や差別に対して、それをスルーするのか、抵抗するのか、受け入れるのかという判断をしなければならない。ジェンダー論は、あくまでも科学として事実を提示するものなので、基本的には個々人の選択に対して影響を与えるものではない。選択は事実から独立している。ジェンダー論は、その選択をよりよくおこなうための情報を提供するだけである。ジェンダー論を通じて事実を知ったうえで、どのような選択をするかは、最終的には人々の意志によって決まる問題である。

 さらに、差別をやめるという判断をする男性、差別と闘うという判断をする女性に対して、ジェンダー論はそうした選択をよりよく実行・実践するためのより多くの豊かな知見を提供できるだろう。一方で、そんな面倒くさい

 話はごめんだという人も、もちろんいるだろう。しかしそのような人もまた、ジェンダーをスルーする、ジェンダー問題から逃げる、という選択をおこなってしまっている。自身の選択に対して、なぜそのような選択をおこなったのかについて、異なる選択をした人々から問われたとき、それに応答する責任は発生している。どう選択するかは自由であるものの、選択についての問いかけに対して答えるという水準での応答の責任から逃れることはできない。

 それでもなお、逃れようとする人もいるだろう。そのような逃げに対して、食い下がり、爪痕を残すということにおいて、ジェンダー論はことさら執拗である。ジェンダー論のインパクトは、たとえ無視して知らないふりをしようとしても、喉の奥に刺さった魚の小骨のように不快で、何かのたびに思い出し、そのたびに気になって仕方がないものとして残るだろう。それは、ジェンダー論が提示する事実が、欺瞞を白日のもとにさらし、大きな衝撃を与えるものだからである。この衝撃から逃れようとすると、ジェンダーの問題と向き合うほかはなくなるのである。

 うっかりとこの本を手に取ってしまった人は、運が悪かったと諦めてもらうしかない。残念ながら、あなたは、もはやジェンダー論から完全には逃れることはできないのである。私たちは、すでに知ってしまったことを知らなかったことにはできない。そして知ってしまったという経験は、爪痕になっていつまでも付きまとう。この付きまといのしつこさという点でも、ジェンダー論は群を抜いてやっかいである。以上はすべて、私自身の経験に基づく感想である。

 とはいえ、それは何もジェンダー論に限ったことではない。世に多く存在する権力関係、とくに差別や抑圧と呼ばれるような関係性には、多かれ少なかれ同様の特徴がある。ジェンダーは性差に関わる問題で、すべての人にとって身近な問題であるだけに情報量も多いため、リアリティを感じやすいなどの程度の相違にすぎない。同時にジェンダーは、支配や抑圧のロジックの博物館といってもいいほど、さまざまな権力関係の契機が存在している領域でもある。ジェンダー論を学んで、とくにその権力作用についての理解が深まれば、世の中に存在するほかの多くの権力関係についても、類推的な洞察が可能になるだろう。もちろんその他多くの権力関係にもジェンダーは関わっている。しかしここでいっているのは、それだけではなく、直接にはジェンダーが絡まないような権力作用を理解する際にも、ジェンダー論の知見は役立つということである。このことは、ジェンダー論を学ぶもう一つの意義といってもいい。


池田緑,2024,『ジェンダーの考え方――権力とポジショナリティから考える入門書』青弓社.pp.9-12