1.「不法」という他者
前章で論じたように、移民や外国人は「荒野」の住民たちのスケープゴートの矛先になりやすい。そのなかでもとりわけ標的となりがちなのが「不法」入国・滞在者である。2000年代前半のオーストラリアでは、「ボート・ピープル」としてオーストラリアに漂着する人々を国内に入れないために、連邦政府が自国の領土外に難民申請者の収容所を建設したことが政治問題化した[1]。同時期の日本では、多文化共生言説が台頭し「高度人材」外国人の活用が叫ばれると同時に、非正規滞在外国人住民に対する取り締まりが強化された。警視庁は2003年8月に「緊急治安対策プログラム」の柱のひとつとして「組織犯罪対策と来日外国人犯罪対策」を掲げた。そして同年10月、警視庁と東京都は「首都東京における不法滞在外国人の強化に関する共同宣言」を発表し、非正規滞在者に対する取り締まりを厳格化した。こうした一連の出来事のなかで、非正規滞在外国人は治安悪化の元凶としてシンボル化され、世論調査においても非正規滞在者をはじめとする外国人が治安悪化の原因であるという意見が多数を占めるようになった[2]。
ただし、日本において非正規滞在者は常に害悪視されてきたわけではない。もちろん、彼・彼女たちを犯罪者予備軍とみなす偏見は以前から存在した。しかし鈴木江理子によれば、1980年代後半から1990年代初頭にかけての世論調査では、「不法」就労はよくないことだが、そうした外国人たちは人手不足の3K職種を担うことで日本経済を支えてくれているといった意見が多数を占めていた。そのような世論を背景に、マスメディアも人手不足に悩む事業所を支える「不法」就労者をやや好意的に伝えていた。さらに鈴木は、当時の警察や入管は非正規滞在者の存在を実質的に黙認・放置しがちであり、そのような当局の姿勢や日本人雇用主や同僚の寛容さもあり、非正規労働者たちの多くは日本社会のなかで生活の場を築いていったと論じる[3]。
しかし2000年代に入ると、非正規滞在者は一転して日本社会から徹底的に排除されることになった。それまで非正規滞在者を黙認してきた警察や入管は取り締まりを厳格化し、日本に長期間在住して生活の基盤を築いてきた人々が後述する収容施設に入れられ、強制送還されることも多かった。マスメディアも彼・彼女たちを「治安悪化の温床」として表象する傾向を強めていった。しかし、「不法滞在外国人が治安悪化の温床である」という主張には確固とした統計的根拠がない。日本全体の一般刑法犯の検挙人数に占める来日外国人の割合は1990年代からそれほど変化がなく、わずか2%前後であるし、日本全体の凶悪犯検挙人数に占める割合も1990年代以降3〜5%(非正規滞在者に限れば1〜3%)で推移している[4]。そもそも非正規滞在者の数自体、1993年には約30万人であったのが厳格な取り締まりの影響もあり、2010年には約9万人にまで減少した[5]。にもかかわらず、依然として多くの人々が日本社会の治安の悪化を感じている。それゆえ、外国人、とりわけ非正規滞在者が「治安悪化の温床」であったとはいえない。むしろ、彼、彼女たちはスケープゴートにされてきたと考えるほうが自然である。ただし、日本の治安が実際に悪化しているかどうかには論争の余地があることにも注意しなければならない[6]。いわゆる「体感治安」の悪化という現象が明確に示しているのは、多くの日本人たちが日本社会の治安の悪化に「不安を感じている」ということだけなのだ。つまりそれは前章で論じた。自らの国家に対する「不完全性への不安」の反映なのである。行政による「不法」外国人の取り締まりは、こうした不安から生じたパラノイア・ナショナリズムを動員することで行政への支持を高めようとする企てだともいえるのだ[7]。
2.予防的排除
非正規滞在者のなかには、日本社会で長年生活して生活の拠点を築き、その生活を続けることを望んで在留特別許可を申請し、日本政府から合法的な在留許可を与えられる人も多い[8]。非正規滞在者等に与えられた在留特別許可の件数は2000年代に入って急増し、一時は年間1万件を超えた[9]。しかし非正規滞在者数の減少とともに近年は減少し、2009年は約4600件であった。こうした人々のなかには長年真面目に働き続けて職場の上司や同僚の日本人の信頼を得た人も多く、その子どもたちも日本の学校に通い日本人の友だちとともに成長してきた。しかしその一方で、非正規滞在者に限ったことではないが、日本社会での生活に困窮して犯罪に手を染めたり、将来への展望のなさから学校を中退しストリート・ギャングのような生活に至る外国人が一部にいることも、残念ながら事実であろう。それは、そのような境遇から犯罪に走る日本人がいるのと同じことである。
だが罪を犯した日本人がひとりいたとしても、すべての日本人が悪人であるはずはない。当然、私たちはそのことを知っている。そもそも、生涯で一度も法律で定めたルールを破らない日本人がどれだけいるだろうか。誰でも一度くらいは、不注意で駐車違反をしたり、急いでいて赤信号の横断歩道を渡ったり、忙しくて税金の納期限を見過ごしたりするものだ。そしてそのような違反をしたからといって、その日本人が人格的に邪悪な人だとは限らない。もちろんルールを破るのは望ましいことではないが、その人を目の前にして実際に話してみれば、人それぞれ、さまざまな事情を抱えていることがふつうは分かるものだ。
出入国管理法及び難民認定法という、日本政府が決めたルールに違反した結果、合法的な在留資格を持たない非正規滞在外国人住民もまた、それだけで悪人であるとは限らない。そうでなければ、この社会に悪人でない者など、日本人を含めてほとんどいないことになってしまう。にもかかわらず、行政やマスメディアに「不法滞在者」と呼ばれることで、そうした人々は性根から悪に染まっているかのように疑われがちである。また「不法」というレッテルは、自分たちの知らない「裏世界」を連想させる。そうなると、自分の目の前に非正規滞在者がいるときですら、彼・彼女たちをひとりひとり異なる人格として見ることが難しくなる。「なるほど、目の前の人物は一見無害なように見える。しかし不法と呼ばれる以上、私の知らないところで犯罪と絡んでいるかもしれない。関わりあいにならないほうがよいし、日本から出て行ってもらうに越したことはない」というわけだ。こうして非正規滞在者への厳しい取り締まりは、日本人たちの「予防的排除」のまなざしによって容認・黙認される。たとえば難民として庇護を申請した人も、難民申請が認められるまでは非常に不安定な法的地位に置かれることになる。2010年に日本で難民申請をしたのは1202名であり、行政が処理した件数は異議申し立てを含めて1906件であったが、そのうち政府によって難民と認められたのはわずか39件であった。助けを求めてやってきた新天地で、彼・彼女たちの多くは「不法」滞在者予備軍として行政や周囲から予防的排除のまなざしにさらされる。
3.ゼロ・トレランスとワイルドゾーン
異質な他者を一枚岩的にとらえたうえで予防的に排除しようとする心理は、近年の先進諸国で大きな流れとなっている「ゼロ・トレランス(寛容度ゼロ)」な治安対策という考え方と親和性がある。ロイック・ワカンによれば、それは「凶悪な犯罪を減少させるためには、まず日々の小さな風紀の乱れを徹底的に取り締まらなければならない」という考え方に基づき、軽微な違反を見逃さずに徹底的に取り締まる治安対策である。ゼロ・トレランスな治安対策がその他の治安対策に比べて成功しているという根拠は、必ずしも明らかではない。しかしそれは、ミドルクラスの人々にとって「人目につき、公共空間でトラブルの原因となったり、不快感を与えたりするような貧困」を警察が監視し、司法が裁くことを正当化する。その結果ミドルクラスの人々にとっては、貧困者を監視し厳格に取り締まることがあたかも治安回復に寄与するかのように見える[10]。
こうしてゼロ・トレランスな治安対策では、多くの貧困層が単に見かけや態度、雰囲気だけで警察に拘束されたり、職務質問を受けたりすることになる。それゆえ社会的下層に属する移民や外国人は、まさにその「見かけ」のゆえに治安悪化の元凶であるかのようにみなされ、移民・外国人間題と治安問題が混同視されるようになる。そのなかでも難民申請者を含む非正規滞在者たちは、ゼロ・トレランスな治安対策によって権利を特に侵害されやすい。なぜなら、彼−彼女らは外国人であることと非正規滞在者であるという二重の意味で、シティズンシップをはく奪されているからである。第4章で論じたように、国民国家の自律性が衰退しつつあるといわれる現代世界においても、人々のシティズンシップを保障するもっとも重要な制度が国民国家であることに変わりはない。それゆえ国民でない外国人は、シティズンシップを十分に享受できない。もちろんシティズンシップの対象を国籍保持者に限定せずに、外国籍住民にも拡大していくべきだという主張も影響力を増している。だがそれを「不法」とされる外国人にまで適用することには、マジョリティ国民のあいだに根強い抵抗感がある。こうして外国人であることと非正規滞在者であることによって法の保護から二重に疎外された人々は、法治国家の内部にありながら法の支配が行き届かない場所に放置されがちになる。
先述した2003年の「首都東京における不法滞在外国人の強化に関する共同宣言」の際、摘発される外国人の数は急増した。摘発者の収容に関しては原則として全件収容主義であり、難民申請者のように本来救済されるべき対象であるはずの者も入管の収容施設に収容されうる。また被収容者が帰国に同意しなかったり、帰国資金がなかったり、難民申請者のようにそもそも帰国が困難な場合、無期限・長期にわたって収容される可能性がある。プライバシーも外部との連絡手段も不十分な収容施設での先の見えない毎日のなかで、多くの被収容者は極度の心理的ストレスにさらされ、精神に異常をきたす場合すらある。また強制収容によって家族が分断された場合、施設の外にいる収容者の家族も多大な心理的、経済的負担を強いられる。入管職員が被収容者を暴行・虐待したり、医療行為が必要な者に適切な処置をせずに放置したりする事例も頻繁に報告されている。暴力的な手段や、向精神薬を多量に投与し抵抗できなくして被収容者の帰国を強要した事例すらある[11]。2年間収容されたあげくに自殺未遂を起こしたある被収容者は、自身の経験を以下のように述べた。
……わたしはドアをけった。すると10人くらいのセンセイ[12]が来て、別の部屋(註:保護室)に連れて行かれた……そこで足に手錠をはめられ、手を背中に回して後ろで手錠を無理矢理かけられ、わたしは寝かせられ、そのまま放置された。その状態でも自分でなんとか立つことができた。ものすごい勢いで頭をドアにぶつけたところ、センセイたちがいっぱい来た。「何をやっているのか。死にたかったら殺してやる」と言って、わたしを足でけっとばした。そしてセンセイたちは私の顔をトイレの水の中に押し込んだりした。本当にあのセンセイたちは人間ではない。20人くらいのセンセイたちに殴られ蹴られ、殺されそうになった。暴行は10分くらい続いたように思う。ごめんなさいもうしません、何度も謝ったらようやくやめた[13]。
日本人の多くは入管収容施設の存在自体を知らないが、人権団体や外国人住民支援団体の調査や告発から伺い知ることのできるその内情は、日本が基本的人権の保障された法治国家である。という私たちの確信を揺るがしかねない。法治国家である日本において、法から放置された場が確かに存在する。これをテッサ・モーリス=スズキはスーザン・バック=モスを引用しつつ「ワイルドゾーン」と呼んだ[14]。モーリス=スズキによれば、2001年の米国同時多発テロ以降、テロ対策を口実に治安当局によって人権を制限され、超法規的な状況に置かれる人々が増大してきた。しかし社会の中枢に近いところでは、市民運動や議会制民主主義が法の支配の遂行を監視している。それゆえそうした監視の眼が行き届きにくい、中枢から離れた場所でワイルドゾーンは発現しやすい。それは地理的な意味での辺境でもあるが、制度的な意味での境界、すなわち出入国管理制度の内部であることも多い。
一般に国民国家は、越境できる者とできない者を分類するある程度の指針となる法規を持っている。しかし、個々にどのような法規が適用されるかを決定するのは出入国管理所の現場の係官である。最も民主的と呼ばれる社会においても、出入国管理官の権力は恣意的であり、絶対的だ。そこでは管理官が個々の決定を正当化するための何ものも必要とされない。通常入国に関わる決定は、入国希望者がどれほど「リスク」をもつかという、出入国管理官個人の判断にもとづいて行われる。……この「リスク審査」は、人種・民族、国籍、宗教、階級、言語、外見等にかかわる出入国管理官がもつ情報や先入観・偏見の堆積に基づいたものだ[15]。
こうして先進民主主義諸国において、非正規滞在者は超法規的な状況の下にしばしば留め置かれることになる。
[1] 塩原良和「あらゆる場所が『国境』になる——オーストラリアの難民申請者政策」『Qu and rante』第10号、2008年、51-64頁.
[2] 鈴木江理子『日本で働く非正規滞在者——彼らは「好ましくない外国人労働者」なのか?』明石書店、2009年、137-146頁.
[3] 同上書、181-185頁.
[4] 同上書、130-133頁.
[5] 『平成22年版出入国管理』法務省、32頁.
[6] 浜井浩一「『日本の治安を脅かす外国人犯罪』の実態——実体のない影に脅える市民」外国人差別ウォッチ・ネットワーク編『外国人包囲網——「治安悪化」のスケープゴート』現代人文社、2004年、24-31頁.
[7] オーストラリアにおける2000年代初頭の「ボート・ピープル」政策の厳格化についても、同様の解釈が可能である。以下を参照。塩原良和『変革する多文化主義へ——オーストラリアからの展望』法政大学出版局、2010年、110-115頁.
[8] 在留特別許可とは、非正規滞在者や資格外活動を行った合法滞在者、一定以上の罪を犯した合法滞在者など、退去強制に該当する者に対して、法務大臣の個々の裁量によって合法的な滞在を認める措置であり、入管法によって定められている。
[9] 近藤敦・塩原良和・鈴木江理子編著『非正規滞在者と在留特別許可——移住者たちの過去・現在・未来』日本評論社、2010年、73-74頁.
[10] ロイック・ヴァカン(森千香子・菊池恵介訳)『貧困という監獄——グローバル化と刑罰国家の到来』新曜社、2008年、6-31頁.
[11] 「壁の涙」製作実行委員会編『壁の涙——法務省「外国人収容所」の実態』現代企画室、2007年.
[12] 被収容者である外国人は、収容施設の職員である日本人を「センセイ」と呼ぶように指示されているという。同上書、91-92頁.
[13] 同上書、121-122頁.
[14] テッサ・モーリス-スズキ(辛島理人訳)『自由を耐え忍ぶ』岩波書店、2004年.
[15] 同上書、106頁.
塩原良和,2012,『共に生きる——多民族・多文化社会における対話』弘文堂(第8章「やむを得ない措置」という陥穽).pp.110-8