経済的動機がすべてではない
移民、または国際的な人の移動は、貧しい国から富める国への人の移動として起こり、出稼ぎ、または豊かな生活を求めての移住が、移動の動機をなすといわれ、根拠として国と国の1人当たりの年収やGDPの格差があげられる。経済格差を主要因とする見方である。一般的な傾向としては否定できないが、その見方だけでは、人の国際的移動という行為の性格を具体的につかむことはできない。
ある国が発展途上国だとしても、地域や階層にかかわりなく人々が一様に貧しいとは限らず、国外へと移民するのは国内の最貧層ではなく、中間層かそれに近い層の人々であることが多い。たとえばフィリピンやブラジルから来日する移住者男女をみても、故国で農業者だった者はごく少なく、また後期中等教育(日本でいう高等学校)以上の学歴の者がほとんどである。「カレッジを卒業したが、そのキャリアにふさわしい就職口がなく、海外に出ることにした」という言葉を、フィリピン人の来日者から聞く。これと同じ言葉をくり返し聞いたのは、筆者がヨーロッパ滞在の折に出会った、北アフリカや中東諸国からやってくる青年たちからだった。これらの国の大学進学率は、アルジェリアの女子の53%をトップに、多くが30%を超える。自国でリセやハイスクールを卒業しても、その学歴にふさわしい就職口は少なく、選択肢は、大学に進むか、または移民、すなわち海外に出てEU諸国に職を求めるか、ということになる。女子の場合、単身移民はむずかしいので、大学進学が多くなる。
ということは、「稼ぐ」という経済的動機がすべてではなく、それとならんで、社会的・文化的・自己実現的な要求をもって国際移動を企てるということである。ただし、そのかれ/彼女らが西欧諸国や日本にやってきて実際に就ける職は、その学歴資格に相応しない職であることが多い。
さらに、家族再結合のための移動、結婚のための移動、庇護を求めての移動など、経済的動機に還元できない他の志向からの移動があることは、指摘するまでもない。
移動のモチーフ
なぜ人々はそれまで暮らしてきた自国を離れて、他国に生きる機会を求めるのか。この「なぜ」は、国際移動に踏み出す人々には根本的な問いのはずだが、たぶん一義的に答えられるものではない。途上国、中進国から先進国への人の流れが、現代移民の圧倒的多数をなすから、豊かな生活を求めての、または稼働のための移動がモチーフとしては大きいだろう。「現代の移民はすべて貧しいとは限らない」と書くT・ラクロアは、国際移動者を、そのモチーフによって、3つのタイプに分ける(T. Lacroix, Migrants: L’impasse européenne, A. Colin, 2016)。よりよい雇用や賃金を求めて移動する「経済移民」、家族再結合(呼び寄せ)のため、また新しい家族の形成(結婚)のため他の一国に移動する「家族移民」、人をその生国から余儀なく離脱させるような危機により惹起される移動を指す「不可抗移民」。この第3のタイプは、いうまでもなく難民であり、他国に庇護(人道的な保護)を求める行動という意味で、「人道的」移民ともよばれる。
だが、この3分類で尽くされるだろうか。これに追加すべき、少なくとももう一つの移動のモチーフがあろう。それは、「学ぶこと」である。留学、研修などのかたちをとる国際移動がそれである。留学は、欧米諸国で年々の入国外国人(短期滞在者は除く)の20〜30%を占め、日本でも技能実習・研修を合わせると4分の1を超える。ただし、この「学ぶ者」たちは、数年後には、一部が高度技能経済移民に転じるだろうし、日本の場合では、多くの留学生が入国から時間をおかず、パートやアルバイトの労働市場に入ってくる。また技能実習生として応じ入れられる外国人の場合、モチーフは、「技術・技能の修得と持ち帰り」であるとされるが、実質的には「経済移民」であろう。
過去から現在へ——植民地出身移民
時計の針を少し巻き戻すと、古典的な移民においては、植民地的絆による移動のパターンがあった。旧植民地の現地民が宗主国に、出稼ぎ者また移住就労者としてやってくるもので、イギリスへと向かうインド・パキスタン・バングラデシュ・ジャマイカなどの出身のコモンウエルス移民、フランスへ向かったアルジェリア・モロッコ・チュニジア等の出身の移民が代表的である。「コロニアル・レイバー」という言葉もある。国籍、国境の壁がないか、または低かったこと、親族が国内に在る者も多いこと、英語やフランス語が通じるという文化通有性も、移民の後押しをした。
忘れてならないのは、在日韓国・朝鮮人も、そのような移民、ないしその末裔であることである。今日でもイギリス・フランスでは、コロニアル・ポストコロニアルとよばれる移民は、以前に比べて入国に制限がかけられてはいるが、ストック(滞在・在住者)、フロー(入国者)とも、なお大きいものがある。日本ではこの型の移民はすでに終了しているが、旧移民の二世、三世が日本社会の構成員となりながら、独自のアイデンティティを保ちつつ生きている。
宮島喬,2022,『「移民国家」としての日本——共生への展望』岩波書店.pp.6-9