オリンピックと戦争は深く結びついている。どちらも国家の強大な権力によって生み出されるプロジェクトだが、オリンピック=戦争型の権力とはどのようなものだろうか。
オリンピックの歴史を紐解くと、1936年の第11回ドイツ・ベルリン大会はオリンピックと戦争が結託したプロジェクトとしてよく知られている。この大会は第2次世界大戦(1939年)が勃発するわずか3年前に、ヒトラーを党首とするナチス政権が治めるドイツで開催された。1933年に政権を奪取したナチスはオリンピックを国威発揚のためのプロパガンダとして利用した。プロパガンダとは人々の意識を方向づける情報統制や広報戦略をいうが、ベルリン大会はまさにナチスによるプロパガンダであり、戦争への道を開く大会だった。
ベルリン大会ではオリンピック史上はじめて聖火リレー、国家元首の立ち会う開会式・表彰式、巨大スタジアムなどが発明された(小澤2015:6)。聖火リレーはいまでこそオリンピックの「伝統」のように思われるが、ナチスが自民族の正統性を誇示するためにわざわざ聖地アテネからのルートを開拓し「創造」したものだった(このルートは後にバルカン半島侵攻に利用されたという)。大会は映画作家レニ・リーフェンシュタールによって記録され、映画『民族の祭典』は世界中で上映された。メダル獲得数はドイツが最多であり、ナチスにとってベルリン大会は「アーリア民族の優秀性」を示す絶好の機会となった。
大会直前、アメリカやイギリスはナチスの人種差別政策を批判し大会ボイコットを呼びかけていた。だが、ナチスは期間中に迫害を隠蔽し、結局ボイコットした国はなかった。大会後、ニューヨークタイムズは「ドイツ人、大会により再び各国の仲間に」、「再び人間らしく」と伝え、第1次世界大戦からのドイツの復興を象徴するものと受けとめた。訪れた人々はドイツ人の温かいもてなしと秩序に称賛の声を送ったという。各国はこのプロパガンダに酔いしれ、人類史上類のない悪の暴走を食い止める機会を失ったのだ(Large 2007=2008)。
敗戦からの復興と国際社会への復帰という点で、36年ベルリン大会は64年東京大会とよく似ている。いずれも敗戦後、オリンピックを利用して国家のアイデンティティを回復しようとした。ドイツはふたたび戦争へと突き進んだわけだが、これはオリンピックと戦争が国家の見せる表の顔と裏の顔であることを示している。国家権力には表情がある。
- Large, David Clay, 2007, Nazi Games: The Olympics of 1936. W W Norton & Co Inc. (=2008,高儀進訳『ベルリン・オリンピック1936――ナチの競技』白水社.)
深田耕一郎,2018,「国家・権力・公共性――パラリンピックはなにを夢見るのか」奥村隆編『はじまりの社会学――問いつづけるためのレッスン』ミネルヴァ書房,261-279.pp.263-4