近代主義対エスノ・シンボリズムの論争は、ネイション形成の歴史的起源の説明の仕方をめぐるものであった。それに対して吉野耕作は、ネイションの創出を目指すこうした「創造型ナショナリズム」と「再構築型ナショナリズム」の区分を提案した1 2。
また吉野は、人々の日常生活でナショナリズムがいかにして受容され、使用されているかに注目する「ナショナリズムの消費」という概念も提起した3 4。ナショナリズムの消費と再構築(再生産)は多くの場合、マス・メディア等の言説や国旗・国歌等のシンボル・およびイベントや儀式等を媒介にして行われる。ワールドカップやオリンピックといった国家代表同士が競うスポーツイベントでは、人々は日の丸を振って応援し、君が代を歌う。日本代表の動静はメディアを通じて日本中に伝えられ、全国が「ガンバレ・ニッボン」モードに突入する。そこに様々なビジネス機会が発生し、経済効果がうたわれる。そして、文字どおりナショナリズムは商品として「消費」される。
こうしたナショナリズムの「消費」は、「熱い」「冷たい」ナショナリズムという概念とも関係している20)。「熱い」ナショナリズムとは、政府が人々の愛国心を動員して戦争や独裁を行ったり、そのような政府に対して民衆や反体制勢力が抵抗するような際に発動される、明確に政治化されたナショナリズムである。それに対して「冷たい」ナショナリズムは、民主主義が確立した「平和」な社会での出来事であり、「脱政治化」されたとされるナショナリズムである。たとえばサッカーのワールドカップやオリンピックで「日の丸」を振って応援する人々は、国旗を振って国家代表を応援しているのだからナショナリズムを消費しているのだが、独裁者や反体制勢力が鼓舞したり、民衆がそれに熱狂したり反抗したりするようなナショナリズムとは異なり、政治的ではないので無害だとされがちである。マイケル・ピリツグはこの「冷たい」ナショナリズムを「陳腐なナショナリズム(banalnationalism)」とも呼んだ。すなわち暴力や運動のように政治的だと意識されない、日常生活の習慣的行為としてのナショナリズムのことである5。
民主主義が確立して安定した国民国家(「先進国」)の「冷たい」ナショナリズムは無害であり、問題となるのは非民主主義的で市民社会が成熟していない「遅れた」国々のナショナリズムである、という見方は、オリエンタリズムに影響されている。ポストコロニアル研究の古典的概念であるオリエンタリズムとは、西洋の文化・社会・政治に見出される、「東洋」と「西洋」には本質的な差異があり、前者を後者よりも劣ったものとする「西洋」の人々の思考・支配・言説のあり方である6。
実際には、先進諸国における「冷たい」はずのナショナリズムが、いつ「熱く」ならないとも限らない。領土問題、経済問題や移民-難民問題などで政府がナショナリズムを煽ることは起こりがちだし、それによってマイノリティへの差別や抑圧を実践する排外主義が盛り上がることもある。次章で論じるように、現代先進諸国において、反テロリズム・反移民、貧困層への排斥など、様々なかたちでナショナリズムが活性化している。
そもそも、「冷たい」ナショナリズムのほうが「熱い」ナショナリズムよりも問題が少ないとも限らない。なぜなら「冷たい」ナショナリズムとは、「忘却された」ナショナリズムでもあるからだ。多くの人々がナショナリズムに影響されていると自覚していない、あるいはナショナリズムに影響されている状況を「あたりまえ」と思っている状態では、エスニック・マイノリティへの差別や不平等が正当化されたり隠蔽されがちになる。現代日本社会でも、「ここは日本なのだから、日本人のやり方が優先されるべきだ。日本に住もうとする外国人は日本人と同じように振る舞うのが当然だ」という風潮は、依然として根強い。そのような風潮自体が、「冷たい」ナショナリズムによる同化圧力であり、外国人住民の社会的排除をもたらしうる。「冷たい」「陳腐な」ナショナリズムは「熱い」ナショナリズムとは現れ方が異なっているだけで、問題を引き起こしうる。
「冷たい」ナショナリズムには、「熱い」ナショナリズムを「陳腐」と感じるナショナリズムも含まれるかもしれない。それは「熱くなっている」他国のナショナリズムに対して「冷静な対応」をしている「われわれ」に誇りや優越感を感じるという、ナルシスティックなナショナリズムである。「あの国は国威とか名誉とかになるとすぐに冷静さを失い、国際協調などお構いなしに国益を追求する。経済成長のためなら、なりふりかまわず行動する。なんと未成熟で品格のない国民だろう。それに比べて私たちはなんと成熟した『大人』の国民だろう」と優越感を感じるのも、ナショナリズムであることに変わりはないのだ。
塩原良和,2017,『分断と対話の社会学——グローバル社会を生きるための想像力』慶應義塾大学出版会.pp.129-32