普遍的に男性たちに認められている優位は、社会構造と生産・再生産〔生殖〕活動のもつ客観性において肯定〔確立〕される。そうした構造や活動の基盤となる性別による分業が、生物学的・社会学的な生産・再生産〔生殖〕作業のうちの有利な部分を男性に与えるようになっているからだ。男性の優位はまた、あらゆるハビトゥスに内在する図式においても肯定〔確立〕される。類似した条件によって仕上げられ、したがって客観的に調和した図式は、社会の全構成員の知覚・思考・行動の母型として機能する。そうした図式は歴史的な超越項であり、普遍的に共有されているため、行為者ひとりひとりに超越的な図式として課される。結果として、生物学的な再生産〔生殖〕と社会的な再生産についての男性中心的な表象には、ある種の常識のもつ客観性があたえられることになる(ここでいう常識〔共通感覚〕とは、実践〔慣習行動〕の意味に関する実践的な、ドクサとしてのコンセンサスを指す)。しかも女性たち自身が、どんな現実に対しても、特に彼女たちを取り込む権力関係に対しても、まさにそうした権力関係の身体化の産物である思考図式(象徴秩序の基礎となる諸対立において表現される思考図式)を当てはめることになる。その帰結として、女性たちの認識行為は、まさに認識であるがゆえに、実践的な追認行為、ドクサに同意する行為となる。それは信念だが、信念として思考されたり肯定されたりするには、およばない。いわばみずからを対象とした象徴的暴力を「なす」信念なのである。(中略)

 被支配者は、支配者の視点から構築されたカテゴリーを支配関係に適用する。それにより、支配関係は自然なものに見えてしまう。これは一貫した一種の自己卑下、さらには自己否定へとつながりうる。


Bourdieu, Pierre, 1998, La domination masculine, Paris: Seuil. (坂本さやか・坂本浩也訳,2017,『男性支配』藤原書店.)