第1の基準:「あらゆる予断を系統的に退けなければならない」(p.88)
- 「この基準はあらゆる科学的方法の根底」(p.88)
- 「社会学者は、研究対象を規定する時であれ、証明の過程であれ、科学の埒外で科学とはまったく関わりのない要求のために形成された概念を用いることを断固として自らに禁じなければならない」(p.88)。
- 「このような解放が社会学ではとりわけ困難なのは、多くの場合、そこに感情が関わってくるためである。実際、われわれは政治的信念や宗教的信念、また道徳的慣行に対しては、物理的世界の諸物に対してとはまるで異なり、自分の熱情を込めてしまう。その結果、この感情的な熱さが、そうした信念や慣行に対するわれわれの理解や説明の仕方に波及するのだ」(p.89)
第2の基準:「自分が取り扱う物を定義する」(p.91)
- 「あらゆる科学的探究は、同一の定義に合致する特定の一現象群をその対象とする。したがって、社会学者が踏み出す第一歩は、何を対象に問うているのかが自他双方にはっきり分かるように、自分が取り扱う物を定義することでなければならない。これは、あらゆる証明とあらゆる検証にとって、第一の、絶対に欠くことのできない条件である。実際、ある理論の正しさは、説明すべき事実が認知されていなければ測りようがない。その上、科学の対象それ自体が、この最初の定義によってこそ構成されるのだから、定義の作られ方如何によって、ある物が対象になったりならなかったりするのである」(p91-2)。
- 「共通に見られる一定の外的特徴によってあらかじめ定義されたー群の現象しか決して研究対象としてはならない、かつまた、この定義に合致する現象をすべて同じ研究の中に含まなければならない」(p.92-3)。
- 「例えば、ひとたびなされれば刑罰と名づけられるような独特の反作用が社会の側から惹起される、という外的特徴を示す行為が一定数存在することが確認されるが、われわれはこれらの行為を一種独特の一群としてまとめて、共通する一つの名称を与える。すなわち、処罰されるあらゆる行為を犯罪と呼び、そうして定義された犯罪なるものを、犯罪学という一特殊科学の対象とする」(p.93)。
- 「このような手順を実行するなら、社会学者は、その第一歩から無媒介に実在の内に立脚することになる。実際、このような事実の分類の仕方は、社会学者自身から、すなわち彼の精神の個別的な傾向から独立しており、物の本性に基づいている。事実をこれこれのカテゴリーに整理せしめる標識は、万人に示され、万人によって認知されうるし、ある観察者の主張は他の観察者によって検証されうる」(p.93-4)。
- 「別の場合には、研究対象の定義にきちんと注意が払われながらも、同じ外的特徴をもつすべての現象をその定義の中に包含したり、同じ名称の下にまとめたりせず、そうした現象の中で選別を行ってしまうことがある。……他の現象については、そうした弁別的な特徴をいわば簒奪したものとみなして考慮に入れないのである。しかし、このような方法では主観的で不完全な概念しか得られないことは、たやすく予見できよう。実際のところ、このような取捨選択は、先入見によるものでしかありえない」(p.96)。
- 「科学は、客観的であるためには、感覚を経ずに作られた概念ではなく、感覚から作られた概念から出発しなければならない。科学は、その出発点における定義を構成する諸要素を可感的な与件から直接、借りなければならないのである。実際、科学がこれ以外の方法などとりえないことを理解するには、科学という作業がどんなものであるか。思い浮かべてみればよい。科学は、諸物を適切に表現する概念を必要とする。だが、この適切な概念とは、そのように物を理解すれば実践に役立つという具合にではなく、その物をあるがままに表現する概念のことである。ところが、科学の活動の埒外で構築された概念は、この条件を満たさない。だから、科学は概念を新たに作り上げなければならないが、そのためには、通念およびそれを表現する語を退けて、あらゆる概念の第一の不可欠な素材、すなわち感覚に立ち戻らなければならない。正しい観念であれ誤った観念であれ、また科学的な観念であれ非科学的な観念であれ、いっさいの一般的観念が導き出されるのは、あくまで感覚からなのだ」(p101-2)
第3の基準:「研究対象を定義する際に依拠する外的な特徴は、客観的なものでなければならない」(p.88)
- 「感覚は主観的なものになりやすい。それゆえ、自然諸科学では、観察者にとってあまりに個人的なものになる恐れのある可感的与件は退け、十分な客観性を示している可感的与件だけを採用するのを慣例としている。だから、物理学者は、温度や電気によってもたらされる漠然とした印象を、温度計や電圧計に示される変動という可視的な表象に置き換える。社会学者も、これと同じ慎重さをもたなければならない。彼が研究対象を定義する際に依拠する外的特徴は、できうるかぎり客観的なものでなければならないのだ」(p.103)。
- 「社会学者は、いかなる種類のものであれ社会的事実の探究を企てる時には、その個人的な表現から独立したものとして現れてくる側面から考察するように努めなければならない。われわれが以前、社会的連帯について、そのさまざまな形態と進化を法規則の体系を通じて研究を行ったのは、まさにこの原則に基づいてのことである」(p.104)。
Durkheim, Emile, 1985, Les règles de la méthode sociologique, Paris: F. Alcan.(菊谷和宏訳,2018,『社会学的方法の規準』岩波書店.)