「私」にとって切実なこと
そして大学に入学してちょうど1年が過ぎたころのことだった。私は、自分が社会学的関心(というか社会学的心性)をもった人間とはほど遠いということをはっきり自覚した。つまり社会構造とか社会システム全体の問題や世界各地に起こっているさまざまな具体的な社会問題などについてきちんと考えることを、自分の精神活動の中心にすることが心から楽しいという人間ではない、ということに気づいたのだ。やはり私はトコトン自己中心的であり、自分がこれから何をすればよいのか、どんなことを楽しいと感じたり心地よいと感じたり、あるいは許せないと感じたりするのかといったことが、生きる関心の中心になっている人間なんだということを突然はっきりと自覚してしまったのだ。つまり、自分が好きな音楽を聞いたり小説を読んだり、好きになった女の子とどうやったらつきあえるのかを考えたりすることの方がずっと大切で切実な問題だったということだ。
こうした自分がどうしようもなく自己中心的で享楽的な人間であるという自覚は、当時の私をひどく落ち込ませた。人間は、それも知的人間は、我が身一身のことを越えてもっと広い天下国家のことを考えるはずだ。いやそうするべきだという強い思い込みによって自分自身を縛っていたからだ(そしてそうした思い込みからほんとうに私が解放されるにはかなりの年月を必要とした。30歳を過ぎるころまで、私は自分が社会学徒を志しながら、ほんとうは社会のことなんてどうだっていいと考えているダメな奴なんじゃないか、という強迫的な自己処罰の感覚に囚われていた)。
とにかく自分はどうしようもなく非社会学的な人間だと気づき、私は一時社会学専攻以外への転専攻を真剣に考えた。しかし制度的な問題もあって転専攻もかなわず、私はほんとうに袋小路に追いつめられたような気分に陥っていた。
ジンメルとの出会い
そんなとき偶然手にとることになるのが、ゲオルク・ジンメルのテキストだった。授業などを通じてジンメルというのは、マックス・ウェーバーやエミル・デュルケームそしてカール・マルクスなどとならんで、社会学における古典的学者としてそれなりの評価を受けているらしいということは聞いていた。そして教養課程の「社会学」の授業のレポートを書くために図書館で本を探していたときに、12巻ならんでいた『ジンメル著作集』がふと目にとまった。そしてパラパラと各巻の表題や内容の目次をみたときに何ともいえない期待感が膨らんでいった。
『文化の哲学』『橋と扉』『断想』『芸術の哲学』といった各巻の表題、あるいは「把手」「廃墟」「コケットリー(媚態)」「俳優と現実」「社会学的美学」といった各論文の表題——「これは!」と私は思った。そのときの実感をうまく言葉にすることはできないが、あえて表現しようとすれば「社会学なのに社会学でない」とでもいったらよいだろうか。
実は、ジンメルは、社会学の創始者の1人であると同時に「生の哲学者」としても著名であった。「生の哲学」とは、ヘーゲルによって大成される19世紀半ばまでの合理主義、主知主義(概念と論理をきちんと積み重ねていけば、世界や人間に対する真の認識に到達できるといった考え方)の哲学に対抗し生まれた、19世紀の末から20世紀の前半の哲学の一大潮流である。キー概念は「体験としての生」であり、人間の生き生きとした生命活動を直観的、直接的にとらえようとする立場をとる。ディルタイ・ショーペンハウアー、ベルクソンなどが有名である。そしてジンメルもまた生の哲学者として著名だったのだ。そして私がそのとき手にとった白水社刊の『ジンメル著作集』には、生の哲学者としての彼の著作が主に収められており、社会学的著作はほとんど入っていなかった。しかし当時、私はそうした事情にまったく無知であり、だから「社会学も捨てたものでもない」という希望をがぜんもつようになった。
自分と社会をつなぐ「橋と扉」
何が私をそんなに魅きつけたのか?当時の私だったらおそらくジンメルがもっている非社会学的な側面とでも応えるしかなかっただろうが、いまならもう少しまともに言葉にすることができるような気かする。
たとえば、ジンメルには有名な「橋と扉」というエッセイがある。たしかこれを次のような感じで私は読み取っていたような気がする。
《生命存在としての人間は、自然や他者と「つながりたい」という欲望をもった存在である。しかしその「つながりたい」という欲望を成り立たせるためには、実は自分は自然や他者とは「切り離されている」という実存感覚がなければならない。事物がつながりをもつためには、まずもって隔てられなければならない。人間は「孤独」を感じるからこそほかの人間と何とか「つながりたい」と考える。また逆に「つながりたい」と思い期待するからこそ「孤独」を感じざるを得ない存在である……。
「橋と扉」における「橋」とは、人間が〈いま・ここ〉の場所を越えてほかの空間や人びとと〈つながりたい〉という欲望を最も素直に表現している〈媒体〉だ。しかも、そうした人間の心性が橋のデザインや装飾にていねいに表現されたとき、橋はたんなる「実用的な目的」を越えて「美的評価の対象」に昇華される。
一方「扉」はもっと複雑な性格をもつ。人間は「小屋」を建て、そこに扉をつけることによって「内」と「外」の区別をもつ。しかし扉は内と外の絶対的遮断を意味しない。それは「壁」ではないのだ。しかも扉の本質は内から外そして外から内へという双方向の自由な往来にあるのではない。内から外への方向性、これこそが扉というものの本質を表現している。つまり、いったん小屋を作って(つまり壁を作って)内と外を区別し自分の空間を確保した人間が、おそるおそる外的世界へと一歩踏み出すための外界へ開かれる可能性のある境界、これが「扉」なのだ。……》
当時、こんな感じで私はジンメルのいいたいことを理解しようとしていたように思う。私は自分と社会とをつなぐ「扉」を探していたのだ。どんなに自分が自己中心的で、自分の自己実現や生の充実を求めようとしていたからといって、そこに他者からの「承認」や他者との「交流」という契機がなければ、それはしょせんむなしい1人遊びに終わってしまう。しかし、当時私は「社会」、そして「社会学」というものをかなり狭苦しくとらえていた結果、社会と自分とを結び付ける「橋」も「扉」も見つけ出すことができず、しかもそうした「橋と扉」を自分が切実に求めているということすらよくわからずに、途方にくれていた。
つまり当時の私が感覚的にとらえていた「社会」とは、私の個性やかけがえのない生としての私自身の固有な体験を圧倒的なかで脅かし、自分の全く外部に存在する「鉄の外枠」(マックス・ヴェーバーの表現)のようなものだったわけだ。同様に「他者」もまた、自分を支えてくれる共に生きる存在というよりは、自分の生を脅かし、否定するそのような〈まなざし〉として感覚されていた。そしてこの私の外部に存在し、私の「生」を日々脅やかしているはずの社会を、私自身の問題とは関わることなしに客観的にとらえ、「構造」や「システム」といった言葉で表わされる社会それ自体のメカニズムを、科学的に分析することが社会学的態度だと思っていたわけだ。つまり自分が生きづらかったり、自分らしさを発揮できないことを「こんな社会が悪いんだ」というかたちで社会のせいにしながらも、自分と社会がどのように関わっているのかということをていねいにみようとはせず、自分の生とはできる限り切り離したところで社会のメカニズムをとらえることが学問的態度であると思っていたのだ(だから先にみたように、一時社会学に見切りをつけようとしたのだ)。
「社会」や「社会学」に対するこうした直観的理解は、いま考えると、全くの誤りとはいえないまでも、やはりかなり偏った見方だといえる。しかし、当時の私は、自分にとってかけがえのない内面的、精神的なほんとうの問題は文学的な課題であり、社会学はそうした問題には触れないかたちで、諸個人間の関係の問題、集団のメカニズムや社会全体の構造的問題などを「客観的」「科学的」に分析する学問だと自分で決めつけ、「そんな態度はとても自分にはとれない」と勝手に絶望していたのだ。
社会学に対するそんなかたくなな理解が、ジンメルを読むことによって少しずつ解きほぐされていった。しかし、それはほんとうに少しずつの過程であった。たとえば、次のような観念から私がほんとうに自由になれたなと実感できたのは、30歳もかなり過ぎたころだった。
《なんだかんだいってほとんどの人間は、自分自身の自己実現や欲望を満足させることを1番に考えている。他人や社会全体のことなんか実はどうでもいいと思っているエゴイストだ。そうした自己中心的な考え方は、私だけに限らず現代人一般を覆いつくす心性だが、現代社会の問題の源泉はすべてこの人間の「自己中心性」にある。人間の自己中心性は、克服されるべき心的態度であり、自分だけの幸福や利害の追求を求めるのではなく、みんなもっとほかの人間のこと、社会全体のことを優先すべきなのだ。現代を覆いつくす自己中心的心性は、根本的に乗り越えられなければならない。》
いまの私は、こうした考え方について、それがほんとうに生真面目に追求されればされるほど帯びてくる抑圧的な危険性について敏感になり、全く共感を寄せることはできない(私の一まわり上のいわゆる「全共闘世代」にとって、このような観念にとらわれた人間が陥った異常な事態として記憶される問題が、1972年の「連合赤軍事件」であろうし、また1990年代の日本を震撼させた「オウム真理教』(現「アーレフ」)によるー連の事件の担い手たちにも、こうした「真面目さ」が極限化されたときの恐ろしさが垣間みられる)。
もちろん、エゴイズムの問題は現代社会に生きる私たちがきちんと考え直してみなければならない問題であるということを認めないということではない。しかしそれは、「自分より他者や社会を優先させるべきである」という思想のかたちでは決してクリアできる問題ではないと私は思う。むしろ現代に生きる私たちがもっと自分の生の充実や生の享受を貪欲に模索すること、つまり自分や自分の周りの人間にとっての幸せや豊かさとは何かということの意味やその内容を徹底的に吟味し、追求するような欲望が成熟するなかにこそ、他者や社会に対する問題性が「自分の問題」としてはじめてリアルなかたちで立ち上がってくる可能性があるのではないか——いまの私は、このような考え方に強く傾いている。