異質性(Wirth 1938=2011)

 このような、都市環境における多様なパーソナリティ・タイプの社会的相互作用は、厳格なカースト・ラインを打ち破り、階級構造を複雑化させる。こうして、もっと統合された社会において見いだされるよりも、分岐し分化した社会階層の枠組みが生みだされる。個人の移動性の高まりによって、個人は、大量の多様な諸個人からの刺激のなかにおかれ、都市の社会構造を構成する分化した社会集団において、不安定な地位にさらされる。その結果、個人は、不安定性や不安感を世間の規範として受け入れるようになる。この事実は、都会人の世間ずれとコスモポリタニズムを説明する助けともなる。どの集団も、個人から専心的な忠誠をうけとることはない。彼が所属している集団は、単純なヒエラルヒー的配列に容易に力を貸すものではない。社会生活の異なる側面から生じる異なる関心のために、個人は広範に分岐した集団の成員資格を獲得する。おのおのの集団は、彼のパーソナリティのひとつの分節との関連でのみ機能している。また、これらの集団は、村落コミュニティや原始社会にありがちなのとはちがって、より狭い範囲のものがより包括的なものの境界線の内部に入るような単純な同心円的な配置になっているわけではない。むしろ、人が典型的に所属する集団は、非常にさまざまな様式で相互に接していたり交差していたりする。
 ひとつには、人びとの物理的な移動の自由の結果として、またひとつには、社会移動の結果として、集団成員の入れ替わりは概して速い。居住地、雇用の場所と性格、所得、関心は変わりやすく、組織を結束させて成員間に親密で永続的な知人関係を維持・促進する課題は、困難である。このことは、とくに都市内部の地域にあてはまる。そのなかでは、人びとは類似した人びとを選択したり積極的にひきつけたりすることによってというよりは、人種、言語,所得、社会的地位のちがいのために凝離するようになる。都市住民の圧倒的多数は自家所有者ではない。そして、一時的な居住は拘束力のある伝統や感情を生みださないから、めったに彼は真の隣人にはならない。個人が都市全体についての概念を獲得したり、全体的な枠組みのなかで彼の場所を概観したりする機会はほとんどない。その結果として、彼はなにが自分の「最良の利害関心」であるかを決定したり、大衆的な提案機関によって自分に提示される争点やリーダーのあいだから決定したりすることが困難であることを知る。こうして、社会を統合する組織体から距離をおいた諸個人は、流動的な大衆を構成し、都市コミュニティにおいて、予測不可能でそれゆえ問題をはらんだ集合行動を形成する。
 都市は、その多様な課題を遂行するために、多様なタイプの人びとを補充し、競争および特異性、新奇性、効率的な遂行、創作力などを強調することをつうじて、彼らの独自性を強化することによって、高度に分化した人口を生みだすものの、平準化に向かう影響力も行使する。異なる性質をもった人びとが大量に集まるところではどこでも、非個人化の過程も入り込む。この平準化の傾向は、ひとつには都市の経済的基礎に本来備わっているものである。大都市の発展は、少なくとも近代においては、集中的な蒸気力におおいに依存していた。工場の興隆は、非個人的な市場に向けての大量生産を可能にした。しかしながら、分業と大量生産の可能性のもっとも完全な利用は、工程と生産物の標準化によってのみ可能となった。貨幣経済は、そのような生産体系と手を携えて進んでいる。都市がこの生産体系を背景として徐々に発展してくるにつれて、サービスとモノの購買可能性を意味する金銭的なつながりが、結合の基礎として、個人的関係にとって代わるようになった。こうした状況のもとでは、個性は、カテゴリーにとって代わられなければならない。大量の人口が施設と制度を共同で利用しなければならなくなると、こうした施設や制度は、特定の個人よりも平均的な人の欲求に役立つようにしなければならなくなる。公益事業、レクリエーション・教育、文化制度のサービスは、大衆の要求にあわせなければならない。同様に、学校、映画、ラジオ・新聞のような文化的制度は、大衆的な顧客のために、必然的に平準化への影響力として作用しなければならない。都市生活にあらわれる政治過程は、近代的なプロパガンダ技術をとおしてなされる大衆的アピールを検討することなくしては、理解できないであろう。個人がかりにも都市の社会的・政治的・経済的生活に参加するのであれば、彼は自分の個性のいくらかをより大きなコミュニティの要求に従属させなければならず、ある程度、大衆運動に埋没しなければならない。

  • Wirth, Louis, 1938, “Urbanism as a Way of Life,” American Journal of Sociology, 44, University of Chicago Press, pp. 1-24.(松本康訳,2011,「生活様式としてのアーバニズム」松本康編『近代アーバニズム』日本評論社.pp.106-8