東京における野宿生活(松本 2020)

①野宿場所確保のための頻繁な移動

 移動型の野宿者は、住む場所の確保のために、就寝するまでは頻繁に動かざるを得ない。移動には体力消耗がつきもので、自分の体力を消耗しないような動き方をしないといけない。しかも、移動は身体的に疲れるが、新宿駅や渋谷駅周辺での野宿時に30代だった川島さんでも、座ると疲労が襲ってきて動けないようになってしまう。そのため、歩いていた方がむしろ相対的には体力を消耗しないという。公共空間の野宿生活は、基本的に疲労から体力を回復する術が非常に少なく、そのなかでいかに睡眠を確保するかが重要になる。

 (野宿場所を探すにあたって)どこで寝ようかってなっちゃいますもん。〔野宿されていた時寝場所の確保で結構大変だったっていうことはありましたか?〕すごく大変でしたね。あと一番大変なのは、動くことですね。いったん座ったら、もうあんまり動けないです。体力消耗しちゃいますから、〔荷物はもうすべてバッグか何かに入れて抱えて移動して?〕もうそうです。抱えて。きついですわ。〔常に大きな荷物をこう抱えてあちこち移動しました?〕抱えると、もう警察官に止められちゃいましたよ。テロリストじゃないですけども、それと間違えられるみたいで。中身は調べられますけど。〔1か所に長く居ると警察や警備が来るんですね〕そんなものですけどね。(川島さん、43歳男性)

 ロッカー代がなかったり、安全な隠し場所がない場合には、移動の際に荷物も・緒に移動させなければならない。荷物の中身は生活資源そのものであり、なるべく多く持ちたいが、移動のためには極力最小限にしなければならない。

②治安(セキュリティ)の対象

 バッグは野宿者にとって持ち運びに便利なものだが、抱えているだけで怪しれる対象物でもある。須藤さんは野宿場所の確保について臨機応変に「ここだったら大丈夫だろうな」とあたりをつけながら、身軽に動けるように荷物はリュックサック1つと紙袋1つの最低限に絞り、仕事がある時は安いロッカーに預けていたと語っている。お金が少しでもあるとロッカーに荷物を預けられ体力消耗を軽減でき、セキュリティの視線からある程度逃れることができる。だが、野宿が長引くと、空間と施設を管理する警察官や警備員に知られ、怪しまれる対象になり、治安の観点からの視線が強くなっていく。警察官には職務質問をされ、荷物の中身を晒しながら、不審者ではないことを常に証明しなければならない。身体的な疲労に加え、緊張のなかで精神的な疲労も被っている。

 大林さん、武田さん、織田さんは、施設管理の警備員に注意され嫌な思いをしている。なかでも、織田さんは、上野駅の無料パソコンコーナーを利用していたら、「ガードマンが来て、『お前駄目だ』。お店の人も驚いちゃって。……ちゃんとルール守ってやってんのにっていうような顔して見てるんですよね。僕もね、1年間ガードマンやってたことあるけど、ガードマンっていうのはなんの権限もないんですから……それが一番しんどかったかな。嫌な思いしましたね。あれはね、警備員としては絶対にやってはいけないことだと思いますよ」と回顧しており、野宿者と見られただけで利用から排除されている。

③襲撃と嫌がらせ

 さらには、野宿者は市民から襲撃や嫌がらせの対象にもなる。飯田さんは、段ボールハウスを蹴られたことが3回あり、炊き出しの最中に通行人からいきなり殴られたことが1回あった。警察に相談してもすぐには対応してくれなかったという。安田さんは、「1回だけ、花火と傘で襲われたことがあるけどね。それだけですけれどもね。夜中によ、傘、花火だから穴だらけになってた。燃えなかったけれどもね。高速の下だったな」と回顧している。矢沢さんは、襲撃に遭わないよう、また襲撃が来ても対抗できるように、集団的に野宿生活をしていた。

④他の野宿者との関係性・共同性

 野宿場所については他の野宿者と上手く調整しながら確保する例もある。

 岡山さんの最初の野宿場所は、寒さに凍える11月の新宿の地下道であった。1990年代、新宿では移動型の段ボール生活者が多かった。新聞紙が数枚あっただけで、知り合いもいない岡山さんは、ほとんど野宿生活の備えもなく、「最初、段ボールも見つからなくて、ほんとにもう着の身着のまま」で恐る恐る野宿を始めている。この時、空いていた場所に居を構えたが、隣の野宿者に「そこ来るかもしんないよ」と言われ、「来たら、じゃあどきますよ」と返しながら、その日は寝入り、結局その場所の「常連さん」は来なかった。野宿場所は、施設管理者だけではなく、近隣の野宿者とも上手くやり取りをしながら、確保しなければならない。「野宿なんかやるもんじゃないな」と思いながらも、次第に段ボールが見つかり始め寝場所を作っていった。

 一方で野宿生活をするにあたり、他の野宿者から何らかの援助を受けることもある。

 河合さんの場合は、「ここにテントを張るようになったのは、もう会社自体も仕事が駄目になってきたから。友達が今度はテントがあるからそこに入らないかって。その人も、教会のキリストの仕事をしたり、別な方の仕事もやっていんから。その人の世話で」という。もう10年も同じ場所でテント生活をしているが、その前、カプセルホテルに投宿している間に、炊き出しなどの予備知識を得たり、すでにテント生活の知人ができていた。実際、上野公園でキリスト教会の炊き出しに行って、隅田川沿いのテント生活のことを知った上で、手持ち金を使い果たした後でテント生活となっている。知人がテント生活に導いており、単独で入ったのではない。勤務先が傾いたことが野宿の契機であるが、野宿前からの仕事等での人的つながりや情報を得ながら、野宿生活の備えができている。10年もの間、同じ場所でテント生活ができるのは、このような生活のスキルが影響しているのかもしれない。

 50歳頃から埼玉の寄居駅で野宿生活となり、後に上野駅に行き着いた飯田さんも、すでに野宿していた人が「一人では危ない」と助言してくれたことがあり、上野公園の東京文化会館脇で段ボールハウスを作って何人かで寝ている。実際、周囲に仲間がいる方が安心とのことであった。足が悪くなる前までは、空き缶拾いの仕事もしていた。基本的には、年金で生活しているが、食事の多くは炊き出しを頼りにしている。また、武田さんも「結構ついてたからなあ。行ったとこ行ったこ、いい人だったから」と言い、「やっぱ見ると分かんだろうね。やっぱ俺バッグかなんか持ってたりしてっと。うろうろしてっと。何、初めてなんつって。じゃあここ空いてっから、ここに寝なよとかさ……上野で野宿してた頃なんですけれども、冬場ですよね」と他の野宿者に助けてもらった経験を持つ。施設管理者や警察官とは異なり、バッグに仲間としての視線を向けている。

⑤生活資源に関わる情報の不足

 野宿者は極度の空腹が日常化している。そのため、食料の確保が最優先となるが、生活資源の確保につながる情報が必ずしもすぐに得られるとは限らない。

 岡山さんは、野宿中には、特に「寒さが一番堪えました」といい、「お金がなかったから、ひもじいのが一番辛かった」と回顧している。「よっぽどごみ箱あさったり」しようと思ったが、幼少期から胃腸が弱く、それはできなかった。加えて、野宿の期間が短かったため、岡山さんは福祉事務所や生活保護制度のみならず、法外援護や炊き出しの情報も入ってこなかった。

 〔新宿の区役所って行かれたことありますか〕そういうの全然知らなかったんですよ。保護を受けるっていうの。〔新宿だとカップめんとか乾パンとかって配ってたみたいですが〕そういう情報はもう入ってこなかったんで、ほんとにもう、大変でしたね。野宿卒業してから聞いたんですよ。新宿西口の公園ありますよね。あそこで炊き出しやってるっていうのは後で聞いて。(岡山さん、69歳男性)

 この語りは、一定期間の野宿生活があって初めて、他の野宿者や支援団体から炊き出しなど生活に関わる情報を得るようになることを示している。野宿者にとって「支援」といった社会資源は欠かせないが、野宿生活にあたって予備知識がないことも多く、遠い存在となり本人の選択肢とならず隠れてしまうことがあり得る。だが、野宿場所をめぐる近隣関係のみならず、野宿生活の継続を可能にする生活資源につながる情報があるかないかで、生活水準に差が大きく出てくることになる。

⑥野宿の辛さ、自由時間の過剰化、生活資源を獲得するための時間の不足

 武田さんは、野宿の辛さについて昼間や降雨・降雪時の居場所がないことを挙げている。この点に関して、現在アパート暮らしの川島さんは野宿生活の頃を回顧して、「一番いいのは屋根があるっていうこと……雨が一番ひどいですから」と言っている。野宿生活が食料確保だけではなく、基本的な生活環境の確保においても困難を抱えていることがわかる。加えて、自由時間が過剰に余っており、青池さんのように特別対策が行われてきた山谷の公共機関や民間支援団体のフリースペースが利用できる場合もあるが、基本的には仕事や趣味などによる生きがいや人的交流が剥奪されている。時間の使い方に関していうと、食事、住居、睡眠などの基本的ニーズの獲得のための過剰な「時間貧困」も頻繁に起こるが、一方で、逆向きに自由時間が過剰化してしまう。自由時間といっても、構造的に生まれ強いられた空白の時間であり、さまざまな選択肢・余暇時間というべきではないだろう。


松本一郎,2020,「東京における野宿生活」山口恵子・青木秀男編『グローバル化のなかの都市貧困——大都市におけるホームレスの国際比較』ミネルヴァ書房,81-103.pp.82-7