パークはドイツ留学の際に指示したジンメルにならって、「よそ者の社会学的重要性」を考えた。彼はまた「人間生態学 human ecology」を提唱し、人間の「自然」な欲求の発現による社会解体という現象と、そこから社会が再構成される様相を捉えようとした。そうしたなかで生まれた「競争・闘争・応化・同化」という4つのプロセスによる集団間関係の変化に関するモデルはよく知られている。たとえば、移住当初の貧しい移民は、アメリカ社会のマジョリティ集団である「WASP」(White Anglo-Saxon Protestant)を中心としたさまざまなエスニック集団との「競争 competition」関係に入る。より良い居住地を確保するために、他の集団と地代をめぐる「競争」をするが、より高い住居費を支払える人びとがより良い場所に住むことができるため、貧しい人びとに勝ち目はない。そうした集団間関係がもっと直接的な対立を意味する「闘争 conflict」状態に入ることもある。エスニック集団間、ギャング間、労使間の対立などがその例である。そうした闘争の結果として妥協点が見出されるようになると、安定した集団間の関係を意味する「応化 accommodation」状態となる。さらに集団相互の差異が消滅した状態が、「同化 assimilation」である。また、競争や闘争の過程で形成されるエスニック集団の集住地区などは「自然地域」ないし「自然発生地域 natural area」(Park 1929=1986: 21)あるいは、「コミュニティ」と呼ばれる。そうした場所は、たとえば、それぞれの社会集団の成員がいかなる居住パターンを有しているか、つまり集住しているか分散居住しているかを確認するための「社会地図」によっても表現されていく。
パークの思想では全体社会としての「アメリカ社会」が前提とされ、それに対する「よそ者」の同化=統合がひとつの目標として考えられていた。バラバラで対立し合い「社会解体」を招きかねない近代都市の人びとは、時とともに平等=均質な近代国家の国民へと変化するであろうし、そうあるべきだとされたのである。ある種のナショナリズムが研究の思想的背景にあったといえるかもしれない。
もっとも、パークは、文化的に均質な国民ではなく、等しく道徳的責任を持つ市民の存在と、そうした市民から構成される「ソサエティ」の建設を考えていたとも言われている。こうした発想であれば市民が多様であることに何ら問題はない。統合と多様性とが矛盾しない「ユートピア」(町村・西澤 2000)をいかに創り出すかという問題はここではさておくとして、実際にシカゴ学派の諸研究では社会的多様性が重視されていたことの傍証となる。というのも、民族誌とは、もともとは「異文化」集団を詳細に記すために民族学者が使用してきた記述方式であり、それがエスニック集団を中心とした多様な社会集団を描き出すために利用されたからである。
山口覚,2006,「シカゴ学派都市社会学――近代都市研究の始まり」加藤政洋・大城直樹編『都市空間の地理学』ミネルヴァ書房,4-16.pp.8-9