ゾーボー『ゴールドコーストとスラム』(園部 2001)

 ゾーボーはシカゴの都心近くのニア・ノース・サイドを研究対象に取り上げる。この地域はゴールドコーストとスラムという極めて対照的な地区から成り立っており、その対照性をゾーボーは、「ニア・ノース・サイドは光と影の際だったコントラストの地域である。その対照性は、古いものと新しいもの、母国人と外国人とぃったものばかりではなく、富と貧困、悪徳と高潔、伝統に捕らわれている人達とボヘミアン、贅沢さと苦労といったさまざまなコントラストである」(Zorbaugh 1929: 4)と表現している。そしてかれの主要な関心は、そもそも当初この研究成果に、コミュニティ・オーガニゼーションの研究という副題がついていたことからも分かるように、スラム地区の社会解体とそれへの対応にあった。それはゾーボーの「スラムは、崩壊と解体で特徴づけられる地域である」、「スラムは自由と個人主義の琴である」(Zorbaugh 1929: 128)といった表現に見て取ることができる。そして、ニア・ノース・サイドの地域生活でもっとも衝撃的なことは、この地域にコミュニティと呼べるような地区がほとんど存在しないことであり、地域に対する感情や意識あるいは行動といったものが驚くほど少ないことであるという。つまるところコミュニティの喪失である。

 ゾーボーはコミュニティの喪失を、都市の成長の基本的なプロセスの結果と理解する。そのようなプロセスには、移動、集中、継承、およびその結果としての地域内の文化や世論の崩壊、社会的距離の拡大、そして集住性よりも職業活動を基礎とした感情や利害の組織化がある。都市の社会病理はコミュニティ生活の崩壊に帰着されるが、農村や小都市型のコミュニティの復興の試みは都市生活の変化に反するものであり、徒労におわる。そこで新しいコミュニティの創造が求められていくことになるが、ゾーボー自身は、それを専門職層の都市への理解力と将来の都市への想像力に期待しているように、読める。そのことをミドルクラスの支配の正当化と見るか。ミドルクラスのもつある種の文化資本の可能性への示唆と捉えるかは意見の分かれるところだろう。


園部雅久,2001,『現代大都市社会論――分極化する都市?』東信堂.pp.10-1