報復都市のスローガンは、以下のようなものとなるだろう。「誰の都市が失われたのか。そして、誰を報復の舞台にさらすべきか」。かくして、階級や人種やジェンダー、国籍や性的嗜好といった点にもとづいてスケープゴートがあぶりだされ、物質的・法的・レトリック的な敵対キャンペーンが繰り広げられる。そうして表現される反動が、合衆国の現代都市の日常生活、政策運営、メディア表象に欠かせない台本となり、しかもその傾向は強くなる一方である。報復主義とは、なるほどたしかに富める者と貧しき者から成る二重都市であり、分裂都市である(Mollenkopf and Castels1991; Fainstein 1992)。そして、デイヴィスが予見しロス暴動によって現実化したように、都市の裂け目に関する黙示録的なビジョンは、ますます現実的なものになっていくだろう(Davis 1991)。しかし、報復主義が意味するのはそれだけではない。それは、勝者が自身の特権——たとえそれがたいしたものではなくとも—を守ろうとますます必死になり、そのやり口がますますむき出しの敵意で固められていくような分裂都市である。また報復都市は、人種と階級という点において、二重都市より広い意味を有している。「もう半分の人々」——それは1950〜60年代のリベラルが盛んに唱えたレトリックであった——という言葉で名指される人々に対する傍観主義に取って代わって、能動的な敵意が台頭しつつあるのだ。それは、「行動」のひとつひとつを弁別しながらそれら全般を犯罪視しようとする敵意であり、あるいは、支援すべきとされる住民に対してなされた1968年以降の都市政策の失敗を非難しようとする敵意である。
Smith, Neil, 1996, The New Urban Frontier: Gentrification and the Revanchist City, London and New York: Routledge.(原口剛訳,2014,『ジェントリフィケーションと報復都市――新たなる都市のフロンティア』ミネルヴァ書房.)pp.380-1