一方、先進国の大都市は、その数があまり増加しなかっただけではない。花の都と謳われたパリやロンドンやニューヨークは、人口の減少とインナーシティ問題といった深刻な問題に襲われた。人口が大き過ぎると指摘される大都市の人口減少は望しいことのように見えるが、それぞれの実態に即して考えると、問題はそう簡単ではない。
例えばロンドン。ロンドンの空間構造は、3つの同心円として理解される。セントラル・ロンドン、ここは東側にシーザーが城を築いたシティと呼ばれる世界の金融情報中心を持ち、西側にバッキンガム宮殿やダウニング街10番地などの政治中枢ウェストミンスターを持つ楕円型の中心部であるが、それは今日でも大きな活力を持つとともに、歴史的な重みを持った重厚な町並みで知られる。その外側をインナー・ロンドンと呼ぶ。かつては商・工・住の混合地帯であり、ロンドンの活力源とされてきた地域である。20世紀後半になると、この地域の衰退、いわゆるインナーシティ問題が大変深刻化した。その外側はアウター・ロンドンと呼ばれ、東京の戦後復興にモデルを提供したすばらしい郊外住宅地として、現在でも良好な住宅地を形成している。
インナー・ロンドンからは多くの事業所が郊外に流出し経済的な活力がそがれ、そして多くの自営業者や熟練労働者などは、事業所の流出を追って郊外に転出し、失業者や老人など、このような郊外化に追いついて行くことのできない人々が取り残され、さらにその後を埋めるように、海外からの出稼ぎ労働者が流入することになった。これまで税金を負担していた層が流出し、逆に担税能力を持たず、さまざまな行政負担の多い層が相対的に多数を占めるようになる。自治体は財政難に陥り、行政サービスの水準を下げざるを得なくなる。例えば道路や公園の清掃を間引き、ゴミの回収の回数を減らすなどである。その結果、地域は荒廃し、そしてそのことがまた人々の郊外への流出を促進する。このような悪循環がいわゆるインナーシティ問題として顕在化したのは、1970年代のことであった。
類似の問題は、ニューヨークにもパリにも起きた。大都市の衰退、あるいは具体的にはインナーシティの衰退という問題が、欧米の先進国の大都市の中心的な問題として顕在化したわけである。この状態は一面では今日でも引き継がれているが、他面では次項で取り上げる世界都市化にともなって、再びこれらの先進国の大都市が活力を取り戻したということもできる。それはロンドンの場合で言えば、インナーシティ問題に対応すべく、これまでの郊外のニュータウン政策を転換して内部の再開発などに政策の重点を移すことや、さまざまな社会的な施策によってこのインナーシティ問題に対応してきたということができる。またニューヨークは、熟練労働者層が流出し、ある時期100万の人口減少を経験したのであるが、その後世界都市化、中でも特に文化発信能力の拡大によって、再び活力を取り戻したとされる。
ロンドンのドッグランズ
ドックランズの資料
- 自治体国際化協会「ロンドン・ドックランドの開発と行政」(1990)https://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/002.pdf
- 川島佑介,2013,「前期ロンドン・ドックランズ再開発史研究(一)――一九七〇年代半ばから一九八〇年代末まで」『名古屋大学法政論集』252: 71-116.https://nagoya.repo.nii.ac.jp/records/17254
- London’s Royal Docks, London’s Royal Docks History, https://londonsroyaldocks.com/londons-royal-docks-history/
1970年代のドックランズの映像
ドックランズの再開発に関するニュース映像
倉沢進,1999,「世界都市化と東京」倉沢進編『都市空間の比較社会学』放送大学教育振興会,223-38.