生きるための「仕事」についての野宿者の語り(西澤 2019: 252-3)

 「缶は集めてる。食うためにね。夜廻る。(缶ゴミが)出る日があるからさ。今うるさいから、持ってっちゃだめだなんだかんだ言ってよお、だから、見つからないようにそーっとやってくんだけどよ。缶は平塚に屑屋さんがあるからそこに持っていく。初めのうちは恥ずかしくてよ、できなかったけどね。こういうとこ行って缶集めたらいいよって、集め方とか屑屋さんの場所とか(野宿者から)教えてもらって。慣れるまで時間かかったねえ。毎日行っているわけじゃないから、第何何曜日とかだからね。毎日毎日出てるならよお、いいけどね。第五何曜日なんて何も無いんだから、一週間。ある時は、週に二三回出るけれども。やってる人多いから、みんな早く行かなきゃなんねえってね、先に先にやんなきゃね。誰かがやってれば他へ行くし。まあ、同じことやってる人と顔合わせたら挨拶くらいはするよ。「どうだ?」なんてね。でも、きついですよ。(米の)飯なんて食ったことないよ。遠いとこまで廻らないと。自転車で。(高齢の)俺なんか自転車で運ぶのが大変だもん。運ぶのが一番きつい。何にもやんないで、中には、コンビニ行って弁当もらってくるのもいる。われわれはそんなことできないから、自分のからだでね、動いてやってですね。それで食べてる-だから高いのは食えないわけ。やっぱり安いパンだの、冬だったら(インスタント)ラーメン食ったり今だったら焼ソバ食べたり、やってるね。だから、もう、栄養は傾いちゃってるね。」(70歳男性)

  彼らは、自分がやっていることを肯定しつつ自分がやりたくないことをやっている他者を否定する論理をそれぞれ持っていて、その論理に従って誇りをなんとか見出そうとしている。


[1] 西澤晃彦,2019,『人間にとって貧困とは何か』放送大学教育振興会.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です