岩田は、野宿者調査で得た次のような知見を述べてもいる。(ホームレスへの)「インタビューの中で強い印象を受けたことの一つに、「俺」「(他のホームレスとしての)あいつら」「世間」という三つを仕分けた。彼らの語りがある。ここで当事者である「俺」は、他のホームレスである「あいつら」とは区別されたものとして、しばしば語られている。それは、「われわれ」=「一般社会」対「かれら」=「ホームレス」というような二区分でこの問題を見ようとする外側の視線に対して、「俺」は「ホームレス」という集団に一体化されない、と叫びたいこれらの人々の思いが凝縮されているかのようである」(岩田正美,2000,『ホームレス/現代社会/福祉国家——「生きていく場所」をめぐって』明石書店.)。彼らの中には、野宿者間の連帯感とは逆方向の、同じ境遇にある者を否定して支配的価値のもとでの承認を願う心情がみられる。先に述べた「ネットカフェ難民」の中には「ホームレス扱い」を強く拒絶する反応があるとの報道がこれまで何度かなされているが、そのような拒否感にも同様の心情をみてとることができるだろう。
ただ、少なくとも野宿者についていえば、そのような心情を持ちつつも、それでも彼らは互いに無視し合う関係ではないということを付け加えておく必要がある。彼らはストリートにおいてお互いを同類として見ており、互いを欲しているとさえいえる。彼らには「あいつら」が必要で、比較の対象にできる「あいつら」がいなければ、彼らは本当に孤立してしまい、かりそめのものであれ立ち上げることが、できた自己(「俺」)を見失ってしまう(西澤2010)。他者なきアイデンティティは不可能なのだ。このゆるやかな関係世界の中で、「友人」を見出す僥倖を得る人もいるし、また何かと助け合うこともある。
[1] 西澤晃彦,2019,『人間にとって貧困とは何か』放送大学教育振興会.