「ケアの倫理」(三井・井口 2009: 131-2)


三井さよ・井口高志,2009,「臨床の場とケア」岩田正美・大橋謙策・白澤政和監修,三本松政之・杉岡直人・武川正吾編『社会理論と社会システム』ミネルヴァ書房,123-36.

 ギリガンは「ハインツのジレンマ」に対して男女が違う解を出す傾向にあることを事例に「ケアの倫理」を説明している。ハインツのジレンマとは、ハインツという名の男が、自分は買う余裕のない薬を、妻の命を救うために盗むべきか否かを考えているという設定の架空の問題である。ハインツの窮状、妻の病気、薬屋の値下げの拒否といったジレンマを生み出す状況が説明され、「ハインツはその薬を盗むべきですか」という質問がなされる。
 このジレンマに対して、男の子ジェイクは、人間の命はお金よりも尊いので、ハインツは薬を盗むべきだ。という明確な答えを出す。法律も間違えることはあるのであり、生命の重要性をふまえれば、裁判官はできるかぎり軽い刑罰を与えるべきだ。と結論づけるのである。それに対して、女の子エイミーはハインツは盗むべきではなかった、他に方法があったはずだ。といった直後に、でも奥さんを死なせるわけにもいかないと述べるなど、いかにも無責任で自信のなさそうな回答を長々と述べる。こうしたエイミーの態度は、従来の発達段階論にのっとれば、論理的に物事をとらえられない未成熟な道徳性とされたであろう。しかし、ギリガンは、エイミーはあくまでも世界を人間関係やつながりで成り立っているものとして考えているととらえ返した。エイミーは、妻の生存を「生命の尊さ」という抽象化したレベルではなく、「奥さんが死んだら多くの人たちが傷つくし、奥さんもまた傷つく」という人間関係のレベルでとらえ、ハインツは盗むべきではなく、また妻を死なせるべきでもない、という。そして薬屋が、自分が価格を下げないことで何が起きるのかを正しく知れば、お金は後から払ってもらえばいいと結論づけるべきだと考えている。すなわち、上記の問題が、何らかの不利益を覚悟しつつどちらかを選択しなくてはならない状況として提示されること自体をおかしなことだと疑問にふしているのである。
 人と人との関係に基づき、誰かが必要としているのならそれが提供されるべきだと考え、そのために生まれるジレンマは人と人との関係によって解決されていくべきだと考えるような倫理観。それもひとつの倫理としてとらえるべきではないか。ギリガンは、自らの倫理感を「ケアの倫理」と呼び、従来の発達心理学において成熟したものと見なされてきた倫理観を「正義の倫理」と呼んで区別した。

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