岸政彦著/日本放送協会・NHK出版編,2020,『NHK 100分 de 名著 2020年12月』NHK出版(ブルデュー『ディスタンクシオン』)
ブルデューによれば、ハビトゥスは社会的関係の中でつくられます。その人のパーソナリティはあまり関係ありません。あくまで人びとの相互行為の中で、社会的・歴史的に構築されるのがハビトゥスです。
ハビトゥスが構築される具体的な場所は、家庭と学校です。そしてここがおもしろいのですが、家庭で身につけるか学校で身につけるかによって、ハビトゥスは変わってくるとブルデューは指摘しています。たとえば、同じように「高級文化」を嗜好するハビトゥスでも、それが家庭の中で小さいときから自然に身についた上流階級(ブルジョワ)のハビトゥスと、学校で教えられ自ら努力して身につけた中間層(プチブル)的なハビトゥスは異なるというのです。
家庭の中で身についたハビトゥスは、まるで空気のように自然で、その人をのびのびと自由に振る舞わせます。「文化的正統性を手にしているという確信にともなう自信と、優秀性と同一視されるゆとりとを与えてくれる」からです。一方、学校の中で意識的な努力を媒介にして培われたハビトゥスは禁欲的な規範として動きます。
『ディスタンクシオン』では、上流階級の家で育った人はフォーレやドビュッシーのような享楽的な音楽を好む傾向があり、中産階級出身で自ら努力して大学に行って公務員や教員になった人はバッハなどの禁欲的な音楽を好むという結果が出ています。上流階級で生まれ育って、自然な形で文化に触れてきた人々は、努力してなにかを身につける、という「泥臭い」やり方から距離をとることができます。しかし、すべてを自らの努力で獲得せざるをえなかった中流階級の人々は、自分たちの存在そのものが自助努力によって構築されてきたものであるからこそ、受容するのにより努力や勤勉さが必要な、禁欲的な文化表現を好むのです。
このように紹介すると、小さな頃に身につけてしまったハビトゥスによって、その人の一生が決定されると思われるかもしれません。 しかしブルデューは、ハビトゥスの形成には家庭や学校が大きな役割を果たしているとしつつも、幼少時の経験だけで一生固定化されるとは言っていません。『資本主義のハビトゥス——アルジェリアの矛盾』(1977年、邦訳は1993年)という本の中では、都市の工業化が進んだとき、人びとのハビトゥスは農村的なものから近代的な工場労働者のそれへと変わっていくだろうと述べています。それは単に働き方が変わるというだけではなく、貨幣や労働に対する関係性、将来への期待や予想のしかた。雇用や契約という概念の捉え方など、広範囲にわたる態度や能力の変容を引き起こすのです。