加藤秀一,2017,『はじめてのジェンダー』有斐閣.
第1の問題点は、それが単なる「分離」言い換えれば水平的な「区別」ではなく、多くの場合、実は上下関係を伴う「差別」だということです……「補助的」な仕事が職位や賃金の上昇に結びつきにくいことくらい、常識に照らして考えてみればわかるはずです。男女特性論によって正当化される性別職務分離こそが、女性たちを待遇の低い職場に押し込めているのです。この問題を解決するには、「補助的」な仕事や「接客」を担当する人も管理職と同等の待遇を与えられるようにしなければなりませんが、それはおよそ考えにくいことでしょう。
第2に、性別職務分離が固定化されていると、個々人がもっているそれぞれの能力が発揮されにくくなります。これは女性だけでなく男性についても言えることですし、また働く側にとってやりきれないことであるだけでなく、企業の側にとっても大いなる損失でしょう。なにしろ、高い労働生産性をもちながら、いわゆる女性向きの職務に甘んじない優秀な女性たちを活用することができないのですから。
第3の問題点は、そもそも男女の特性とされるものがしばしば偏見であり、必ずしも実態を反映していないという……身体的能力や認知能力における性差はおそらく事実として存在するでしょう。けれども職業に関連して重要なのは、慎重な科学的研究によってはじめて明らかにされうるような微細な違いではなく、もっとずっと明確な差であるはずです。そう考えると、「力仕事」でさえ、集団としての男女の能力差が問題になるのは非常に限られた職種ではないでしょうか。まして、女性がみな「補助的」な仕事に向いているなどということはありえないし、「ソフトな接客」に至っては、女性の側に属する能力ではなく、顧客がそういう態度を女性にばかり要求するというだけのことにすぎません
ところが厄介なことに、男女特性論がまったく現実から遊離しているとも言い切れません。なぜなら社会現象には、最初は根拠のない偏見でも、それを前提に人々が行動すると、やがて現実のものになってしまうという「予言の自己成就」作用があるからです。女性が「繰り返しの多い定型的または補助的な仕事」に向いている、言い換えれば創造性やリーダーシップに欠けているとい——しばしば当の女性自身さえ——抱いていると考えてみてください。そうした状況の下では、いざ女性が創造性やリーダーシップを必要とする仕事を任せられたとしても、当人も周囲も自信をもって仕事に臨むことができず、結果に対する評価も過度に厳しくなりがちです。ちょっとしたミスを取り上げて「やっぱり女はだめだ」と決めつけるようなことがまかり通ってしまうのです。そんな雰囲気が立ちこめている中で本来の能力を発揮できる人材はごく少数ではないでしょうか。このように、「女には能力がない」という偏見が、結果として女性たちの能力を実際に低下させてしまうのです。こうした損失を防ぐため男女特性論にとらわれない意識づくりが不可欠です。