単一民族という神話と多文化共生(塩原 2012: 27-8)

塩原良和,2012,『共に生きる——多民族・多文化社会における対話』弘文堂.

 こうして今日の日本社会では、「多文化共生」という謳い文句が定着しつつある。これは歓迎すべき変化だが、問題がないわけではない。それは、このスローガンの意味するものが日本語が不自由なニューカマー外国人住民への支援や、異なる文化をもった人々への寛容の奨励に限定されがちなことである14。そうなれば、多文化共生とは彼・彼女たちが急増した1990年代以降に生じた新しい社会的課題であると見なされるようになる。こうして「日本はかつて単一民族社会であったが、それがニューカマー外国人住民の増大によって多文化化してきた。それゆえ日本は多文化共生社会を目指さなければならない」という、「単一民族社会から多文化共生社会へ」という物語が受け入れられていく。

 だが、この物語は事実とはいえない。先述のように、民族的マイノリティと「ともに生きる」重要性は以前から問題提起されてきた。また小熊英二が論破したように、そもそも日本が「単一民族社会」であるという通念自体が、実は第二次世界大戦以降に定着した「神話」である(小熊英二,1995,『単一民族神話の起源「日本人」の自画像の系譜』新曜社.)。第二次世界大戦以前、台湾や朝鮮半島などを植民地化した日本は公式に「多民族帝国」を名乗っていた。また日本の北部に先住民族として独自の文化・社会を築き、「和人」(日本人)の侵略を受けながらもそれを受け継いできたアイヌ民族や、17世紀はじめに薩摩藩の侵攻を被りつつ19世紀後半までは独自の王朝として存続し、「ヤマトンチュ」(「本土」の人々)とは異なる独自の文化を維持してきた琉球王国の存在は、現在「日本社会」とされる領域が明治以前には多民族による複数の社会であったことを示している。それに加えて在日コリアンの存在は、「単一民族神話」が強い影響力をもった第二次世界大戦後ですら、日本が単一民族社会などではなかったことを物語っている。「単一民族社会から多文化共生社会へ」という物語はこうした事実と異なっている。それどころか。多文化共生の名の下にニューカマー外国人住民への支援だけが語られることで、在日コリアンやアイヌ民族、琉球・沖縄の人々などが経てきた苦難の歴史が忘却されてしまいかねない。その意味で、この物語はそれが否定しているはずの「単一民族神話」と共謀する側面をもちうる。

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