国家によるハビトゥスを通じた象徴的暴力の行使(Bourdieu 1994=2007: 152-4)


Bourdieu, Pierre, 1994, Raisons pratiques : sur la théorie de l’action, Paris: Éditions du Seuil. (加藤晴久・石井洋二郎・三浦信孝・安田尚訳,2007,『実践理性——行動の理論について』藤原書店.)

 われわれの社会では、国家が社会的現実を構築する道具の生産と再生産に決定的な仕方で貢献しています。さまざまな実践の組織的構造である調整の審級として、国家はたえず、社会の成員全員に一義的に押しつける身体的精神的規律と拘束によって、持続的な性向を形成するはたらきをもちます。その上、国家は、性、年齢、「能力」などの違いによる基本的な分類原理を押しつけ教えこみ、国家が、家族形成の基底にある儀式、聖別化の場である学校制度の機能を通して行なわれる儀式など、あらゆる制定化の儀式の象徴的有効性の原理になります。学校という聖別化の場では、選ばれる者と排除される者のあいだに持続的でしばしば決定的な差が、かつて貴族の騎士叙任式が生み出した差と同じやり方で生み出されます。

 国家の構築は、そのすべての「臣民」に内在する、ある種の共通の歴史的超越物の構築を伴います。国家はもろもろの実践に一定の枠組みを押しつけ、それを通して、知覚と思考の共通の形式とカテゴリー、知覚と判断力ないし記憶の社会的枠組み、精神構造、分類の国家的形式を植えつけ教えこみます。そうすることで、国家はハビトゥスを直接的に組織化する条件を創り出します。ハビトゥスの組織化そのものが、共有された一連の自明の理へのコンセンサスを基礎づけ、一連の自明の理が共通感覚=常識を構成します。社会的カレンダーの大きなリズム、とくに現代社会の「季節大移動」を決定する学校休暇の構造は、共通の客観的指示対象と同調された主観的識別原理を保証し、生きられた時間の個別性を越えて、「時間の内的経験」を、社会生活を可能にするのに十分なだけ調和的なものにします。

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