丹野清人,2016b,「顔の見えない定住化」北川由紀彦・丹野清人『移動と定住の社会学』放送大学教育振興会,105-119.
彼は「時給1,200円で働いている」と筆者に言っていた。なるほど、彼の支給額は時間給1,200円を基準として計算されている。しかし、彼の時間給である1,200円は基本給900円に使用者側が指定した就労日をすべて働いた時にもらえる精勤給300円を合算したものである。本人は、1,200円が900円+300円となっていることに気付いていたが、特に気にはしていなかった。ハケン会社の社長や担当者から、「休むことなく働いていれば、常に1,200円だから」と言われていたし、本人も休むつもりがなかったからだ。会社側がこのような賃金の仕組みを設定しているのは、もし労働者が無断欠勤をしたり、使用者の休日出勤の要請を断ったりした時に、懲罰的に時間給を900円とするためであることはこれまでの経験から分かっていた。実際、同僚や友人のなかにペナルティー的に時間給を減額された話を聞いたこともあった。
表7-1を見る限り、使用者側の言うことを聞いていれば労働者は結構な額をもらえると思うかもしれない。本人に支払われた375,180円という額は、平均的な日本人の工場労働者が受け取る額よりもはるかに高いものだ。しかし、表7-1には、おかしなところがあちこちに隠れている。彼の給与明細では失業保険に相当する雇用保険は引かれているのに、健康保険や年金にあたる項目が存在していない。また所得税は引かれているのに住民税の項目は存在しない。これは病気になったり、歳を取ったりしたときのリスクが労働者に押し付けられていることを意味するだけでなく、健康保険や年金が労使折半で負担する日本の社会保障制度を考えれば、使用者側がこれらの負担から逃れてしまっていることも意味する。さらに、雇用保険、所得税の項目があって住民税の項目が無いのは、日本国内でビザの更新の時に厳しくチェックされる項目だけを支払っているからだろうしまた、給与明細を詳しく分析していくと、彼が就労先である工場の変動する部分のリスクを一手に引き受けているという一面も見えてくる。表7-1では9時から17時までの常勤の時間帯の勤務時間が88時間であるのに対して、18時からが勤務時間となる深夜勤務および深夜残業の勤務時間は152時間とほぼ昼の勤務時間帯の倍にまで及んでいるのである。