バリバイ一家が来日した経緯(乾 2021: 26-8)

乾英理子,2021,『クルドの夢 ペルーの家――日本に暮らす難民・移民と入管制度』論創社.p.26-8

家族が暮らしていたのは、トルコ南東部ガジアンテップ県にある小さなクルド人集落だった。父ムスタファさんは左官などの建設業をしながら羊を飼い、畑でキュウリやトマトを育てて自然と共に暮らしていた。子どもたちも協力してヨーグルトやチーズを作り、街に売りに行ったことを覚えているという

「きれいなところでした。地球のにおいがしました。村に入るとその土地のにおいがしました」

母のヌリエさんはそう言いながら、懐かしそうに故郷で撮った家族写真を見せてくれた。樹の下で、穏やかな表情を浮かべる両親のかたわら、幼い子どもたちがじゃれ合っている。ムスタファさんは、クルド人としての民族意識を強く持っていた。街で親クルド政党のチラシを配ったり、息子たちにクルド民族の歴史を語ったりしていたという。そして1980年代以降、政府とクルド人勢力が対立するようになると、ムスタファさんたちの周辺にも争いの影が忍び寄ってくる。

1999年の10月下旬、村は憲兵に襲われた。政府と対立していたPKKをムスタファさんが支援したとの理由で、家を荒らされ、ムスタファさんを含む村人4人が逮捕された。ムスタファさんは拘束された際、電気ショックを受けるなどの拷問を受けたという。翌年以降もたびたび憲兵から家宅捜索を受け、ときにヌリエさんも殴られて連行され、娘のスザンさんを拘留中に出産する羽目になった。

一連の出来事は、家族に大きなダメージを与えた。逮捕された父は、証拠不十分で無罪となったが、拷問のショックで精神疾患を発症した。幼かった子どもたちが、目前で繰り広げられた暴力の数々に、どれほど心を痛めたかは計り知れない。

家族の危機を感じたヌリエさんは、住み慣れた村を離れることを決意した。

「軍の拷問から逃げたかったんです。逃げなければ、子どもが殺されると思いました」一家が目指したのは、日本。クルド人の親戚がいたうえに、「とても安全で、拷問も兵役義務もない国だと聞いたから」選んだという。長女はすでに別の地域へ嫁いでおり、長男が先に日本へ渡った。ヌリエさんたちは長男の仕送りで生活していたが、憲兵が再び次男を拘束するなどしたため、ヌリエさんと夫は2007年になってから、残り4人の子どもを連れて故郷をあとにした。

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