西澤晃彦,2000,「階級・階層生成のダイナミクス」町村敬志・西澤晃彦『都市の社会学』有斐閣
政治学者石田雄は、水俣病があらわにした都市・水俣の社会構造を「抑圧と差別の構造」として取り出してみせている(石田 1995: 39-90頁)。水俣病は、1953年頃から、海で採れた魚介類を多食していた漁民に発生した。患者は、脳神経が冒され、四肢、発語、視覚、聴覚などに麻痺、障害が出て、確認されているだけで1200人以上が死に至った。原因は、チッソ水俣工場の廃水に含まれた有機水銀であった。患者を苦しめたものは、その症状だけではない。水俣病患者とその家族たちは、社会的な抑圧と差別によっていっそう悲惨な体験を強いられたのである。この抑圧と差別を解き明かすには、まず、水俣の社会構造が踏まえられなければならない。
水俣市は、「会社」といえばチッソをさすほどの、チッソの企業城下町であった。「この市がチッソあってのものであ」り(59頁)、水俣市の発展はチッソによって支えられているという「神話」(68頁)は、市全体に十二分に浸透していた。そして、この従属状態は、現実の「チッソとの様々な経済的結びつき」によって支えられていた(59頁)。
チッソの社員は、水俣のヒエラルヒーにおいて上位に位置づけられる。さらに、その下部を、系列の約30社の下請企業が支える。チッソ系列の下請工場は労働条件が悪く、チッソが「鉛の作業のように中毒を起こすものや、最も危険の多い」仕事を下請け場にまわしたり臨時に担わせたりするため、そこで働く労働者は「経済的結びつき」と引換えに失うものも多い。それでも「チッソなくして」という依存心は、そうした現実への疑問を惹起させない。チッソとその関連企業の内部にヒエラルヒーは貫徹する。チッソとは直接のつながりを持たない人々であっても、自分たちの生活がチッソに依存していることを疑う人はいなかった。こうして、「神話」は、その全体に行き渡ったのである。
水俣病は、そして患者たちは、そのような「神話」を生きる人々にとって、憎悪し隠蔽すべき対象であった(なかったことにしたい、見たくない、忘れ去りたい)。そうであるから、「市の発展はチッソによって支えられているのだから、チッソをつぶすような患者の運動は、市の発展を阻むものだという論理」が市ぐるみで醸成され、患者への排除と抑圧はさらに強化され患者は孤立させられていく(68頁)。そして、もちろん、「チッソの城下町水俣市においては、市当局が患者に対して積極的に配慮するということは、全く期待できな」かった(49頁)。 →水俣の「排除と抑圧の構造」は中央の意向と整合的に形成され、政府は水俣病を積極的に放置し続けた。対策に乗り出したのは1968年、政府が責任を認めたのは1995年