藤田結子,2017,『ワンオペ育児——わかってほしい休めない日常』毎日新聞出版.
2016年に放映されたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」が社会現象となりました。原作は海野つなみさんの連載漫画。10月初回の視聴率は18.2%でしたが、以後上昇し続け、12月最終回の第11話では28.8%を記録しました(ビデオリサーチ・関東地区平均)。番組が終了すると「逃げ恥ロス」という言葉が生まれるほど人気を博しましたが、何が視聴者の心をとらえたのでしょうか。
物語の主人公は派遣切りにあった25歳女性・森山みくり(新垣結衣)。あるきっかけから、35歳男性・津崎平匡(星野源)宅に住み込みの「家事代行」として雇われます。京大卒でIT会社に勤める平匡は恋愛経験ゼロ。彼は雇用主として、みくりは従業員としての「契約結婚」です。しかし2人はしだいに恋愛関係になり、平匡がプロポーズをします。
プロポーズのきっかけはなんとリストラ。仕事を失った平匡は、法律婚をしてみくりとの雇用関係が解消されれば、みくりに支払っていた給料分が浮き、2人の将来に備えて貯蓄ができると思いついたのです。
平匡「結婚がもっとも合理的だと思います」
みくり「結婚をすれば、給与を払わずに私をタダで使えるから合理的ということ
平匡「みくりさんは僕と結婚したくはないということでしょうか。僕のことが好きではないということでしょうか」
みくり「それは好きの搾取です。好きならば、愛があれば何だってできるだろうって……そんなことでいいんでしょうか。私、森山みくりは愛情の搾取に断固として反対します!」
みくりはプロポーズに対して、結婚して家事という仕事が無給になることを「好きの搾取」「愛情の搾取」だと訴えました。
みくりが感じたことは、実は、日本では半世紀も前に問われていました。1960年代はじめに、「主婦がする家事という仕事は役に立つのになぜ価値を生まないのか(お金と交換できないのか)」ということが問われ、議論が戦わされました。これは「第二次主婦論争」と呼ばれ、当時多くの主婦の支持や共感を得たそうです。
「愛」の名のもとのタダ働き
みくりはタダで料理や掃除をすることを「愛情の搾取」だと反対しました。私の勤務先の大学の授業で、数百名の学生にドラマを観て感想を書いてもらったところ、男性と女性で意見がわかれました。一部の男子学生から非難の声があがったのです。
「好きなら家事やってくれるはずだし、そんなに金がほしいのか」
「搾取という言葉に違和感。いわれたらショック」
「賃金を払うというのがわからない。夫の給料をもらえるのに」
彼らは、「非モテ」男性のところに魅力的な若い女性が転がり込み世話をしてくれてそのうえ恋愛関係になる、というファンタジーに「キュンキュン」していました。現実にはそんな都合のいいことは起こらないだろうと突っ込みたくなりますが、「ガッキー(新垣結衣)がかわいい!」と彼らは嬉しそうにしていました。そのため、渾身のプロポーズが「愛情の搾取」と糾弾される展開に、自分と重ね合わせて、軽い衝撃を覚えたのでしょう。
この「愛」とは、「夫の目的を自分の目的として女性が自分のエネルギーを動員するためのイデオロギー装置である」——と社会学者の上野千鶴子さんは指摘しています。女性が「愛」に高い価値を置く限り、タダ働きをしても「家族の理解」や「夫のねぎらい」によって報われた気分になります。女性は自分がそれをやらないならば誰かによって代行されるほかないような料理・掃除・洗濯などの不払い労働を「愛」の名のもとに行っているのです(上野 1990)。
女子学生たちは、本を読んで勉強したわけでもないのに、「愛」が動員しようとするものにうすうす気づいていました。「愛しているなら女性は家事・育児をやってくれるはず」と無邪気に信じている男子学生たちと比べて、彼女たちは「愛」についてずっとシビアです。
「愛があれば何でも乗り越えられるなんていつまでも続かないし、お金は必要」
「平匡は好きという気持ちよりも、お金を払わなくてラッキーという気持ちが大きいのでは」
「年中無休、タダ働きの専業主婦という仕事はかなりブラックだと思う」
20歳前後の彼女たちはまだ家事を任せられた経験がないので、母親の影響を受けているのでしょうか。彼女たちの母親はアラフィフの「均等法(男女雇用機会均等法)世代」「バブル世代」で、その多くは就職後に結婚・出産→専業主婦→子育てが一段落してパート主婦、という生き方をしています。母親たちは、そんな自分の人生については「満足している」「後悔はない」というけれど、娘である彼女たちに対してはこう話すそうです。
「やっぱり結婚しても仕事を続けたほうがいい。今はそういう時代だから」
「結婚も出産もしてほしいし、仕事も思いつきりやって充実を感じてほしい」
このように、学生の母親たちは自分の人生については否定しませんが、娘には「仕事も思いつきりやって」と期待しています。
上野さんは、母親は自分の人生を否定されることは許せないのでアンビバレンスな期待をそのまま娘に与えてしまう、と指摘しています。母親が、「結婚して子供を産むべきだ」「キャリアを築くべきだ」と言を左右にするので、娘は人格のまた裂き状より詳しく態ともいうべき経験を味わうのです(上野・信田 2004)。親思いの女子学生たちは、おそらくそういった期待を重荷に感じながらも、自分を育ててくれた母親の願いを実現したいと思うのでしょう。
「逃げ恥」は、エンターテイメントの形式で現代的な文脈にのせて、愛という名のもとのタダ働きという疑問を突き付けました。女性の人生と深く関わるこの問いに、世代を超えた視聴者の関心と共感が集まったのでしょう。