人物を撮るのと同様、街中の風景を撮影するときにも注意が必要だ。繁華街で調査をしていたときの忘れられない大失敗が、フイリピンパブの看板を撮影したときのことだ。
筆者が博士論文作成のために名古屋の繁華街でフィリピン人コミュニティの調査をしていた1998年のことである。「フィリピン人が働く場所」としての繁華街の概観を撮影しておこうと考え、午後5時ごろに街をうろついていた。この街にはフィリピン人など外国人女性が接客をするショーパブがたくさんある。ちょっと街を歩けば、外国人女性の顔を並べた看板があちらこちらに目につくはずだ。店の「商品」が女性なので、看板には店内で出会える女性の姿態が10人以上並ぶことも珍しくない。当時の私は、そうした看板を見つけて、何気なくカメラにおさめた。「ことほど左様にフィリピン人女性が多く雇用されている街」との説明をするための画像として。とそのとき、どこからか黒服の日本人男性がサッと目前に現れ、「何やってるんですか!」と筆者の行く手をふさぐ。後にも先にも、見知らぬ男性が鼻先5センチのところで眉間に雛を寄せ怖い顔をしているのを見たのはこのときだけだ。
背中をサーっと冷や汗が伝い、あわてつつも私は彼に説明した。自分は大学院生であること、フィリピンに留学していたこともあり、フィリピン人が働く場所に関心があるのでこの街に来て、研究資料として店の看板を写真に撮ったのだ、と。その店の店長まで出てきて私は問い詰められ、かなり焦った。店長いわく、彼らのこれまでの経験から、フィリピン人女性が多数働くショーパブの看板を写真撮影する日本人女性は概して「外国人女性の性的搾取はけしからん」と怒る女性団体だと言う。その推測から、私が店の看板の写真をとり、それを「外国人女性の性的搾取の事例」として雑誌に載せたりインターネットに掲載するのだろうと考えたようだった。そのときに店の名前が写っているのはまずいというわけだ。 当時の私は考えが足りなかったのだが、フィールドワークを始めて間もない緊張感たっぷりの頃よりも、ある程度の「あつかましさ」が身についてきた頃に上記のような失敗が起こりやすいかもしれない。フィールドに入ると気分が高揚して何でも撮りたくなるが、あくまでもフイールドワーカーは外部者。撮影には十分な謙虚さが必要だ。
高畑幸,2009,「ビジュアルに記録する」谷富夫・山本努編『よくわかる質的社会調査 プロセス編』ミネルヴァ書房,156-69.