合理性の非合理性(森 2000: 208)


森真一,2000,『自己コントロールの檻——感情マネジメント社会の現実』講談社.

リッツァーは、「合理性の非合理性」の意味を二つに大別する。一つは、「マクドナルド化は、非効率性・計算不可能性・予測不可能性・コントロールの欠如を導く」という事態を指す。その象徴的な事例が、ファストフード・レストランでの長い行列である。それは、効率的に食事を提供するシステムが実際には効率的でないことの一つの証明である。「ファスト」フードではなくなっているのである。「ジャスト・イン・タイム・システム」は、ある工場から別の工場へ必要な部品を「ジャスト・イン・タイム」で配送することによって、在庫などのコストを軽減する合理的なシステムである。しかし、そのためには、一日に何度もトラックを出さなければならない。すると、全体として以前よりも多くの車が路上を走ることになり、渋滞に寄与する結果になっている。渋滞は、効率的な移動はもちろん、何時にどこに着くという計算・予測を不可能にする。窓口が空いているのに、銀行のATM(現金自動預け払い機)に並ばされるのも、渋滞と同じ非合理的な結果となっている。 もう一つの「合理性の非合理性」は、「合理的システムは、システム内で働く人とシステムからサービスを受ける人の両方から、人間性(humanity)や理性(reason)を奪い取る」という事態を指す(『マクドナルド化する社会』p196)。つまり「効率性・計算可能性・予測可能性・テクノロジーによるコントロール」の徹底化は、人間を機械のような非人間的存在にする(dehumanizing)というのである。リッツァーはとくにこの二番目の非合理的現象に重きをおいている。

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